追悼…名コーチの高代延博さんが「結果論で“4番の時は走らせるな!”では困ります」と落合博満監督に反発した夜…WBC名シーンの裏話、ノムさんを脱帽させたブロックサイン
日ハムでの現役時代にショートでダイヤモンドグラブ賞、ベストナインを受賞、引退後、広島、ロッテ、中日、日ハム、オリックス、韓国ハンファ、阪神でコーチを歴任し、WBCの「侍ジャパン」でも、2度コーチを務め、2023年からは大経大の監督だった高代延博さんががんのため大阪市内の病院で亡くなった。71歳だった。ノック名人、“世界一”の三塁コーチ…本当の職人だった。
NYタイムズが「芸術」とうなったノック技術
高代さんが亡くなった。何度も酒席を共にさせていただいた。人懐こい笑顔が忘れられない。
本当のプロフェッショナル。名参謀であり、メジャーリーグのコーチが教えを請いにきた世界一の職人コーチだった。
故・野村克也氏が「日本一の三塁コーチ」と絶賛した。中日コーチ時代の2006年には「捕殺1」。絶対に間違わない信号機だった。
そもそもは31年間のコーチ生活のスタートとなる1990年の広島での初年度に三塁コーチだった三村敏之さんが残り20試合でキューバ遠征に同行することとなり、一塁コーチだった高代さんが三塁コーチに回ったのが始まり。有名になったのは2013年のWBCでの名シーンである。
第2ラウンドの台湾戦。4回二死二塁で、走者は糸井嘉男。坂本勇人の打球は先発の王健民のグラブを弾き、センターへ抜けようとした。だが、ベース寄りに守備位置を変えてきたショートがグラブに当て、その打球はセカンドの前へ転がってしまった。「抜けた」と自己判断した糸井は三塁を回りホームを狙った。しかも下を向き高代さんの指示を見ていない。高代さんは、咄嗟にその場に這いつくばって人工芝を何度もパンパンと叩いた。糸井はあわてて三塁へ頭から戻り間一髪セーフとなる。糸井と衝突しないように這いつくばったという見方が多かったが、高代さんは、こうその真相を明かしてくれた。
「糸井が下を向いて走っていたのでその視界に入ろうとしたんだよ。追い詰められて本能でやった。火事場のバカ力ってやつや」
この試合は4時間37分の死闘となった。1点を追う9回二死から鳥谷敬が盗塁を決め、井端弘和の執念のタイムリーで追いつき、延長戦の末4-3で競り勝った。
高代さんが気が付いたことを書き記す野球ノートは50冊にもなった。ブロックサインと走塁のマニュアルノートを独自に作った。
ブロックサインは「キー」を何にするかがポイントだが、高代さんは広島時代、それをユニホームの白、赤、黒部分の色にしたことがある。6パターンはできてバレない。サイン盗みで知られるノムさんが「高代のサインだけは読めん」とボヤき、その後、広島を戦力外となった小早川毅彦氏がヤクルトに移籍してくると、根掘り葉掘り聞きだして「ほう、そうだったのか」と感心したという。
当代きっての野球頭脳を持つ岡田彰布氏は、オリックス監督時代に高代さんをヘッドコーチに招き「高代さんに任せていたら完璧よ」と全幅の信頼を置き、キャンプの練習メニューを丸投げしたほどだった。
ノック名人だった。
あらゆる回転と種類の打球を自在に打った。広島時代に北別府学が賭けを挑んできた。広島市民球場の両翼ポールにノックの打球を当てられるかどうか。5本勝負。高代さんは「ちょっと練習させてくれ」とわざと2本を外して、北別府がのってきたところで、2球連続でレフトポールに的中させ「次はライトです」と焦った北別府が条件をつけてきたが、3球目もライトポールに当ててみせると、北別府の姿はもうそこになかったという。

