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RONSPOのRON(論)とは議論の論であり、論旨の論である。

今から13年前。
私は季刊誌「論スポ」のプロローグに「メディアとアスリートの関係がオカシクなっている」という話を書いた。
ヤンキースへ移籍する前の田中将大選手や、当時のオリックス監督だった岡田彰布氏らの嘆きを伝えつつ、「野球を知らない」「サッカーを知らない」「人間を知らない」「ルールを知らない」と、スポーツメデァアに不満を持つアスリートや関係者がいかに多いかという実態を活字にした。
嫌われて上等。
「いい質問だ」と取材対象者に返されるジャーナリズムほどロクなものではない。
 ただ、私は「本物のプロとは何か。聞く方も聞かれる方も今、それを真剣に考えねば5年先にはとんでもないことになっている」と、危機感を抱いていた。
ところが「新型コロナ」というとんでもなく厄介な“怪物“が出現して、もうアスリートのメディアの関係を議論しているどころの話ではなくなった。
安全と健康を担保をするため、取材はオンライン或いは、代表取材となり、広報頼りの情報を共有することになった。独自取材は、積み重ねてきた人脈を持っている優良メディアでなければ難しい。だから、出てくるニュースは、横一線になりがちである。いわゆる“金太郎飴ニュース“である。そこにYoutuberが台頭。発信する側の勢力が巨大になった。
それらのすべてが悪ではない。
SNSなどを通じてスポーツを論じる機会や場所は増えたのだ。
作家の三島由紀夫は1964年に著した「実感的スポーツ論」の中で、こう書いた。

オリンピックはやはり「文化的な」お祭りであり。ホイジンガの説のとほり遊戯としての文化なのだろう


スポーツの自然の摂理への反抗。戯れる行為、それが文化だと表現した。
スポーツが文化であるのならば、その奥深さや、素晴らしさを誰かが伝えねばならない。

決して知的スノッブではない。
「論スポ」の論は議論の論であり、論旨の論である。
恐縮ながら「何を偉そうな」という理想を記させてもらえば、議論を深めるようなニュース記事の発信が、「論スポ」のテーマである。
スポーツを心から愛し、この国の、そのスポーツ文化の発展が、すなわち「幸福な世界」の欠片になりやしないかと考えている。

論スポ編集長/スポーツタイムズ通信社 本郷陽一


本郷陽一

サンケイスポーツの記者としてスポーツの現場を歩きアマスポーツ、プロ野球、MLBなどを担当。その後、角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤア!」の編集長を務めた。
著書に「実現の条件―本田圭佑のルーツとは」(東邦出版)、「白球の約束―高校野球監督となった元プロ野球選手―」(角川書店)。