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ミラノ五輪ジャンプ男子ノーマルヒルで“同点”銅メダルを獲得した二階堂と元日本代表だった父の学さん(写真・スポーツ報知/アフロ)
ミラノ五輪ジャンプ男子ノーマルヒルで“同点”銅メダルを獲得した二階堂と元日本代表だった父の学さん(写真・スポーツ報知/アフロ)

なぜミラノ五輪で飛距離では5.5m下だった二階堂蓮が48年ぶり2度目の珍しい“同点”銅メダルを獲得できたのか…テレマークの規則変更への対応と元日本代表だった父の「あきらめるな」の教え

 金メダルのライムント、銀メダルのトマシャクはいずれも2回目の飛型点で58.0点の高得点をマークした。飛距離では1回目101m、2回目106.5mだった二階堂は、1回目106m、2回目107mをマークしたデシュバンデンに飛距離では5.5mも及ばなかった。なのにそのデシュバンデンに得点で並ぶことができたのは飛型点の合計が109点に留まったスイス人に対して、二階堂は110.5点で1.5点上回ったからだ。
 昨年の夏から二階堂はそのテレマークの改善に取り組んでいた。
「夏から小さい(ジャンプ)台で基礎的テクニックをやってきた。課題だったテレマークをコツコツやってきてよかった」
 加えて1月のワールドカップの“ジャンプ週間”のインスブルック大会のラージヒルで初優勝した。その勢いのまま五輪に照準を合わせた。
 前出の岩瀬氏は、「昨夏からテレマークの基本姿勢など、基本の反復練習を重ねていました。それは元選手だったお父さんの教えでもあったんですよ。今のジャンプは、ある意味、飛距離以上にテレマークが重要なんです。加えて名門大会でもあるインスブルックで勝ったことで自信を深めました」と分析した。
 ランディングゾーンを囲む応援ゾーンでは父の学さんが涙を流していた。父の学さんは五輪出場は果たせなかったが、日の丸をつけて世界選手権にも出場したことがある元トップジャンパー。北海道江別市出身の二階堂は、その父の背中を追いかけて小学校2年からジャンプを始めた。最高の遺伝子に加え、父の指導を受けて実力をつけ、下川商3年でインターハイで優勝を飾るも、大学進学時に支援をしてくれるスポンサーがみつからずジャンプ競技からの引退も考えた。
「悔しい気持ちで、その場の勢いで辞めるとか言っていた」という二階堂を父の言葉がジャンプの世界へ引き留めた。
 前出の岩瀬氏によると、父は「あきらめずにやり遂げることが大事なんだ」「決して投げやりになるな」と説き続けていたという。
「父さんの前で取れたことが嬉しかった。強く抱きしめました」
 二階堂は「必要としてくれる人を再認識できてリスタートができた。五輪でメダルを取れたのも親だったり、当時のコーチだったり、色んな人への感謝しかない」と言葉をつなげて少し涙ぐんだ。
 二階堂は、初めての五輪で好スタートを切った。休むまもなく10日(日本時間11日)に混合団体、14日(同15日)にラージヒルを控える。飛び出した後の空中姿勢で、体とスキー板の間が狭く推進力が増すのが特徴の二階堂が得意なのはラージヒル。二階堂旋風がイタリアの地で吹き荒れるかもしれない。

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