
なぜ36歳の井岡一翔はダウンを奪い、試合後にインタビュー打ち切りの寒気を与えた王者にリベンジを果たせなかったのか…「引退する気持ちはない」現役続行を宣言した理由とは?
プロボクシングのWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチが11日、東京の大田区総合体育館で行われ、挑戦者の井岡一翔(36、志成)が王者のフェルナンド・マルティネス(33、アルゼンチン)に0ー3判定で屈してリベンジを果たすことができなかった。井岡はボディ攻撃でダメージを与え、10回に左フックでダウンを奪うも、3人のジャッジは共に王者の手数と見栄えを支持した。井岡は引退を否定して現役続行を明言した。ただマルティネスとの3度目対戦も含めたスーパーフライ級での再起を目指すのか、バンタム級での5階級制覇に挑むのかについての答えは明かさなかった。36歳の井岡の決断に注目が集まる。
「この相手に勝てないとはまったく思わない」
大田区総合体育館に「イオカコール!」が鳴り響く。最終ラウンド。井岡はノーガードで「来い!」と、闘志をむき出しにした。互いに危険なフックを強振する。そして激闘のフィナーレ。両者は共に両手をあげて勝利をアピールした。
リングアナは先にジャッジペーパーだけを読み上げた。
「114-113」「115-112」117-110」
井岡は10回に右ストレートから左フックのカウンターで起死回生のダウンを奪った。井岡陣営には「後半にダウンを取って、これはいけたんじゃないかなとの思いがあった」(佐々木修平会長)との確信があった。
井岡自身は複雑な心境で“審判”を待った。
「1ラウンド、1ラウンド、全身全霊で戦う感じだった。最後の最後にダウンを取って、負けている感じもなかったが、かなり熱くなって俯瞰的で見れていなかった。あっという間の12ラウンド。冷静に勝っていたな、とはわからない。勝っていたらいいなという気持ちだった」
一方のダウンを奪われた王者は「ナーバスになっていた」という。
「ほとんどのラウンドを私は取っていた。勝ちは確信していたが、試合場所がビジターで、ダウンもしてしまった。どんな判定が出るか心配していた」
リングアナが「スティル(防衛)」とコールすると、マルティネス陣営は、飛び跳ねて歓喜。井岡は、ただ失望し、うなだれた。
昨年7月7日の統一戦で0-3判定で敗れWBA王座を手放した。キャリア3度目の敗戦だった。過去2度は、再起の決断まで1か月以上はかかったが、井岡はすぐに再戦したいとの気持ちを二宮雄介マネージャーに伝えた。だが大晦日にセットされた再戦はマルティネスのインフルエンザ罹患で前日にドタキャン。さらに5か月延期されてようやく待ちに待った再戦が実現したが、リベンジは果たせなかった。
「結果がすべてなんで負けたことが素直に悔しい。こうすれば、ああすれば良かったと言うのはきりがない。あの一瞬、一瞬に全力は出した。勝てれば良かったが全力を出してやり切ったので良かった」
ところどころ赤く傷ついた顔をサングラスで隠した井岡は、どこかサバサバと正面から敗戦を受け止めた。
ただこう本音も漏らす。
「やっていた感じでこの相手に勝てないなとはまったく思わない。勝てる相手だと思う。でも判定は離れている。不思議な感じです」
井岡は足を止めての打撃戦を挑んだ前戦からファイトスタイルをガラっと変えた。ステップバックを使い、距離を詰めた接近戦での殴り合いをできるだけ回避した。ロープを背負うと体をふってパンチを空振りさせ、サイドに動いてポジションを変える。いろんな種類のジャブを駆使して、相手のボディ攻撃には、左フックのカウンターを食らわせた。
「彼は接近戦、至近距離で相手がそこにいる場合に連打が止まらない。彼の打つパンチの範囲は長くない。いかに外して前で作るか。後ろ(バックステップ)を使ってリードパンチを打つ。できたところもあったが、向き合って熱くなったところもある」
マルティネスは井岡の戦術変更で得意の圧をかけることができなかった。
「前ばかりじゃなく、後ろを使ったり、ジャブを工夫したり、ボディを意識しているのがわかって違うパンチに切り替えたりもした。彼からすれば前回よりやり辛かったと思う。後ろで作っているから(圧をかけ)続けられなかったと思う」
すべては井岡の作戦通りだった。
前戦の1ラウンドにマルティネスの動きを止めた必殺の左のボディカウンターも上下にパンチを散らすことで、効果的にヒットしていた。だが、その井岡の戦術がポイントにはつながらなかった。
「前回同様にハイペースで勝負しにきていた。どういう風に後ろでさばいたらいいのか、前で打ち合ってカウンターを決めればいいか。一瞬、一瞬の選択で難しい展開になった」
どこでアクションを起こすのかが中途半端になり決定的なクリーンヒットに欠けた。一方のマルティネスはぶんぶんフックを振り回してきた。王者のそれもクリーンヒットにはならなかったが、手数と見栄えでは井岡を上回っていた。