
「将来を考えて怪我をした球児を出場させてはダメ」「胸を打つキャプテンシー」東大阪大柏原“主将”竹本歩夢の“執念”片手スイングに阪神“鉄人”金本知憲氏を思い出すもSNSやネットで賛否
第107回全国高校野球選手権の大会第7日、2回戦3試合が12日、甲子園で行われ、大阪桐蔭を破って14年ぶり2度目の出場の東大阪大柏原(大阪)が尽誠学園(香川)に0-3で敗れて初戦で姿を消すことになった。SNSやネットで賛否を呼んだのは主将の竹本歩夢捕手(3年)の片手スイング。10日の夜間練習の素振りで左手甲を痛めていた竹本は、テーピングを施して本来の4番から打順を落として8番で先発出場したが、3回一死で迎えた第1打席で痛みに耐えきれず両手でスイングできずショートゴロに倒れた。5回二死二塁の第2打席で本人の申し入れで土井健大監督(36)は代打を送ったが、その監督の采配を巡って物議を醸すことになった。
第二打席では本人の「勇気ある」申し出で代打
甲子園がどよめいた。
0-0で迎えた3回一死走者なしで打席が回ってきた竹本がカウント2-2になるまで1球も振らずに5球目のスライダーを打ったが、なんと右打者にとって重要な引手となる左手を放して、まるでテニスのように右手1本でコンタクトしたのだ。打球はショート正面のゴロ。その左手には痛々しいテーピングが巻かれていた。
実は10日の夜間練習で素振りをした際に左手甲を痛めた。痛みが引かないため、前日に病院で診察を受けたが、左手有鉤骨骨折の疑いがもたれるものだったという。
だが、本人は出場を直訴。
就任7年目で初めてチームを甲子園に導いた土井監督も「彼がつかんだ舞台なのでグラウンドに立たせたい」との思いと「無理をさせて今後の野球人生に響いても」との考えに悩んだが、「できるところまでキャプテンとしてグラウンドに立ちなさい」と伝えて、打順を大阪大会の4番から8番に下げてスタメン表に名前を書いた。
だが、5回に竹本自身が「限界です」と、もう痛みで左手にキャッチャーミットさえはめられないことを土井監督に伝え、5回二死二塁の第2打席では代打に1年生の福塚慶翔が送られた。
「本人が一番悔しかったと思いますが、(野球は)一人でやるものじゃない。チーム全体でやることなので(交代を)判断しました」
結局、福塚は、センターフライに倒れた。
捕手が代わったその裏に試合は動く。
二死二塁のピンチに東大阪大柏原ベンチは申告敬遠で1番打者の金丸淳哉を歩かせて、一、二塁として2番の木下立晴と勝負したが、レフト前へ先制タイムリーをポトリと落とされた。土井監督が「極端に前を守らせればよかったが中途半端な指示になった」と悔やむ外野の守備隊形が裏目に出た。さらに生田大悟への初球がボールとなったところで先発の川崎龍輝から古川恵太にスイッチ。だが、生田を四球で歩かせ、満塁となったところで、エースで4番の廣瀬賢汰にまたレフト前へポテンヒットを許して2者の生還を許した。結局、香川県大会で防御率0点台だった好投手の廣瀬を攻略できず、9回は相手のライト金丸のスライディングキャッチのファインプレーもあり、悔しい6安打5三振の完封負けとなったのである。
大阪大会の決勝でドラフト候補を擁する絶対王者の大阪桐蔭を破り「大阪代表の重み」を胸に初戦突破に挑んだが、まさかの初戦敗戦となり、竹本の出場の是非がクローズアップされることになった。
片手スイングで蘇るのは、2004年7月30日の阪神―巨人戦、場所は同じく甲子園。連続フルイニング出場記録を続けていた“鉄人”阪神金本知憲の片手スイングだ。前日の中日戦で岩瀬仁紀から左手首に死球を受けて剥離骨折していた。当時の監督は岡田彰布氏。金本の気持ちは聞かなくともわかっていた。「出るんやろ?」の一言でスタメン出場を決断。なんと金本は4回、6回と、高橋尚成から片手でヒットを打ってみせた。この最大の危機を乗り越えて、2年後の2006年3月31日にカル・リプケン・ジュニアの持つ8243イニング連続出場を更新し、4月9日の対横浜ベイスターズ戦でリプケンを抜く904試合連続フルイニング出場の世界新記録を達成し、その後、さらに記録は2010年まで続き、1492試合まで伸びた。この話は伝説として語り継がれた。だが、プロの“アニキ”と高校球児では話は違う。