
長嶋巨人で「ジョン損」と酷評され、メッツで監督として「悪党軍団」をまとめ世界一となったデーブ・ジョンソン氏が死去…82歳…「思ったことは何でも言う」豪傑でデータ野球先駆けの名将
「ジョンソンさんの訃報に深い悲しみを覚えています。彼は偉大なリーダーであり、メッツという球団を勝利する組織へと変貌させました。選手たちが自分らしく表現できるよう力を与えながらも、常に卓越性への強いこだわりを持ち続けた姿は、本当に感動的でした。彼の功績はファンや選手たちの心に永遠に刻まれるでしょう。スーザン・ジョンソンさんとご家族の皆さまに、心からお悔やみを申し上げます。彼は惜しまれつつも、野球界や人々の人生に与えた素晴らしい影響とともに記憶され続けます。デーブ・ジョンソン、永遠に愛しています」
ジョンソン氏は、1990年まで7年間メッツを率い、常に2位以上をキープした。通算595勝は、今なおメッツの球団史上最多勝利記録である。だが、最後はキャッシェンGMとの確執で解任された。
メッツの元広報担当のジェイ・ホロウィッツ氏は、亡くなったジョンソン氏を「勝敗の数字だけでは、デービーの偉大さを語れません。彼は豪胆で自信にあふれ、1980年代の個性豊かなチームを率いるのにぴったりの人物でした。思ったことは必ず口にしました」と振り返った。
ジョンソン氏は、メッツを解任された後に4球団を渡り歩いた。
1993年の途中からレッズの監督に就任し、翌年はストライキで短縮されるまで地区首位に立ち、1996年には、古巣のオリオールズをワイルドカードからア・リーグ優勝決定シリーズへ導いた。1999年から2000年まではドジャース、その後、ナショナルズの特別顧問、GM補佐を経て、2011年6月に監督に復帰して、2012年には球団史上最多の98勝を挙げてナ・リーグ東地区優勝。また2004年のアテネ五輪ではオランダ代表監督を務め、米国代表監督として2007年の野球W杯で金メダル、2008年の北京五輪と、2009年のWBCでは銅メダルを獲得している。
MLB公式サイトによると、ジョンソン氏は、まだデータ野球が全盛となる前からその活用に積極的に取り組み「野球界でもっとも知的な戦術家の一人とみなされていた」という。2012年にはナショナルズの監督を務めながらトリニティ大学で数学の学位を取得している。
監督通算で1372勝1071敗(勝率.562)を記録し、この勝利数は、メジャー歴代33位。1997年にオリオールズ、2012年にナショナルズで、それぞれ最優秀監督賞を受賞した。
「自分が賢いなんて思ったことはない。ただ問題を解くのが大好きなんだ。頑固さと粘り強さで、最後には必ずやり遂げるんだ」
MLB公式サイトによるとジョンソン氏は2017年に野球殿堂の研究員であるビル・フランシス氏にこう監督哲学について語っていたという。