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中日の根尾昂が今季初登板となった広島戦で1回をピシャリ(資料写真・黒田史夫)
中日の根尾昂が今季初登板となった広島戦で1回をピシャリ(資料写真・黒田史夫)

なぜ中日の根尾昂は7年目で変貌兆しを見せたのか?「野手投げ」と揶揄された投球フォームに戻して広島戦で1回をピシャリ…最速150kmでドラ1位同期の小園海斗から三振奪う

 根尾は、大阪桐蔭時代にゼンバツ甲子園の決勝で完投勝利するなど、二刀流として注目を浴びたが、中日入団時に「ショート一本で行きたい」と、野手専念を自ら希望して、内野手としてプロ生活をスタートさせた。だが、守備の不安定さを解消できず、外野へ転向し、立浪和義監督時代の2022年のシーズン途中からは、二刀流にチャレンジした。確かにこの時は、まだ投手らしくないコンパクトな投球フォームだった。2023年からは、先発で投手に専念したが、周囲からは「野手投げを直すべき」との声があがり、フォーム改造に取り組んだものの、コントロールが乱れるようになり、スランプに陥った。3年間で1勝もできなかった。
 だが、落合2軍監督は、二刀流時代に野手投げと揶揄されたフォームが根尾には理想形だったという。
 根尾は、昨年オフには、心機一転、背番号を「7」から「30」に変えて7年目の今年にかけ、自主トレでは38歳の大ベテランの涌井秀章に弟子入りした。落合2軍監督は、「そこで、涌井から何かいいアドバイスをもらったんじゃないか。フォームが戻ったのは、その自主トレから」と、見ている。
 根尾は、開幕1軍には入れなかったが、ファームで10試合に登板、防御率0.00の結果を残して、実力で今回の1軍昇格の切符を勝ち取った。井上監督が落合2軍監督らスタッフと協議した上で今季は中継ぎに専念させたこともプラスに働いた。
 現役時代に阪神、ダイエー(現ソフトバンク)、ヤクルトで先発と抑えの両方の経験がある池田親興氏は、この日の13球をこう分析した。
「フォームバランスがよくなっている。すっと立って、足を上げて、タメをつくりそこからショートアームに近い形で上から腕をすっとふり下ろす。フォームは本人の感覚の問題。どこで一番タイミングがあい、ボールをコントロールできるかを模索する中でつかんだのだろう。150キロも出ていたストレートの球威があったし、課題だったコントロールが安定して変貌していた。変化球のキレは、まだ課題なんだろうが、結果を残すことが重要だろう。中日のブルペンはレベルが高いが、長いシーズンを考えると人数は必要。そこに残っていける可能性は感じた」
 また起用法についても「制御できる球種がそれほどあるタイプではないので中継ぎの方に適性がある」という見方をしていた。
 根尾が1軍に生き残るためには、結果を残し続けて、ベンチの信頼を勝ち取るしかない。GWの9連戦は、折り返しに入ったが、どこかでまた出番が来るだろう。変貌の兆しを見せた根尾の真価を問われるのはここからかもしれない。

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