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中日の中田翔が引退を発表(写真・黒田史夫)
中日の中田翔が引退を発表(写真・黒田史夫)

「2軍で僕は何をすればいいんですか?」電撃引退した中日の中田翔が17年前ダルビッシュ有にかけた1本の電話「準備に汗をかけ。わからないならおまえはプロではあかん」3度の打点王へ導く金言

 中日の中田翔(36)が15日、バンテリンドームで会見を開き今季限りの引退を表明した。腰痛が完治せずフルスイングができず「これ以上チームに迷惑をかけられない」と2か月前に決断したという。日ハム、巨人、中日で18年間プレー、打点王3度、ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞5度を獲得、通算成績は1783試合出場、309本塁打、1087打点、打率.248だった。大阪桐蔭高からドラフト1位でプロ入り後、2軍で燻った中田を成功へと導いたのは日ハム時代に共にプレーしたパドレスのダルビッシュ有(39)の言葉だった。

 2か月前に決断「満足のいくスイングができない」「チームに迷惑」

 中田翔が電撃引退を表明した。会見をライブ配信で見た。
「2か月前ぐらいですかね。1軍の舞台で生き残るために全力でやっている中で自分自身が満足いくスイングができない、思い通りに体が動かないというのを感じてきた。これ以上チームに迷惑をかけられないというのもあったので自分で決断を下した」
 ここ数年悩まされてきた腰痛が深刻化していた。井上監督のアドバイスもあり、オフに「まだ何年も野球をやりたいという思いが強く」約15キロの大減量に挑み、春季キャンプにも特別に遅れて合流することも認められた。
 だが「情けないことにあまり回復せずにひどくなる一方だった」という。
 フルスイングができなくなれば中田翔ではない。
 今季は結果が出ず5月17日に2軍落ち、8月7日に1軍昇格したが、代打で3試合に出場してノーヒットに終わり12日に登録を抹消されていた。ここまで25試合で打率.161、2本塁打、4打点の成績だった。
「プロで18年間やってきた中ではっきり言ってうまくいかなかったことの方が多かったかもしれない。そういう厳しい世界と十分に承知した中で野球人生をやってきた。悔いを一つ挙げるならば最後に拾っていただいた中日ドラゴンズに対してまったく貢献できなかったこと。ファンの皆さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいですし自分自身悔しい」
 18年間をそう振り返り、「僕から野球をとれば何も残らない。僕にとって野球は宝物。今まで野球ありきの人生を送ってきた。これから野球がなくなると考えると不安もありますけど野球に携われて幸せだった」と、しみじみと語った。
 そして通算309本を放ったホームランの美学をこう明かしている。
「球場の雰囲気を一発で変えられるのはホームラン。ホームランへのこだわりは若い頃から強かった。僕にとってホームランというのは特別なもの。ベースを一周しているときの気持ちはホームランを打った人間にしか分からない感覚。本当はもっともっとグラウンドを回りたかった」
 17年前。日ハムの千葉・鎌ヶ谷の寮で聞いた19歳の中田の言葉が蘇った。
 大阪桐蔭時代に通算87本塁打記録を作った中田は2007年のドラフトで、日ハム、阪神、オリックス、ソフトバンクの4球団競合の末、鳴り物入りで日ハムに入団した。
 自主トレにモヒカンのヘアスタイルで現れて奔放なビッグマウスが話題を集めた。
「ススキノに行ってみたいっす」
「彼女がいるっす」
「小遣いはたった30万円」
 当時、体重は106キロ。「痩せるつもりはないっす」とまで言って物議を醸した。

 

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