
世界のマラソントップランナーが集まらない不人気“世陸”で入賞に届かなかった日本男子マラソン界の“トホホ”の現状
吉田に関しては、「国内レースは30㎞までペースが一定ですけど、給水時や微妙な下りでペースが上がりました。またゼネラルテーブルに割り込んでくる選手もいて、接触しそうになったんです。そんなに速くないのに速く感じましたし、ペースが落ちるときも一気に落ちるような気がして、ペースの落差が非常に激しかったように思いました」と集団内のレース運びに苦労したようだ。心身ともに消耗して、「力を出し切れてなさすぎるレースになってしまった……」とうなだれた。
男子は海外勢のペース変化に翻弄されたが、女子は小林香菜(大塚製薬)が7位入賞を果たしている。そのレース運びが素晴らしかった。序盤は単独トップを走ると、前半はメダル争いを展開。一度は入賞圏外に押し出されるも、終盤に順位を上げている。意図的に集団のなかでのレースを避けていたのだ。
そこには小林を指導する河野匡監督の〝成功体験〟があった。
河野監督が指導していた伊藤舞はテグ世界陸上(11年)で22位に終わった。このとき伊藤は給水の度にアフリカ勢がペースを上げているのを「揺さぶり」に感じたという。しかし、給水後はペースが落ち着くことから、北京世界陸上(15年)では給水時の動きに惑わされずに、伊藤は自分のペースを徹底。見事、7位入賞につながった。
「レースを自分でコントロールできれば世界大会でも戦える」と考えた河野監督は、「直前になると緊張するので、だいぶ前から『ゴールタイムを設定して、自分のペースで行くように』と小林に指示したんです」と明かしている。
今回の男子は前半大きな動きはなく、トップ集団は中間点を1時間05分19秒で通過した。終盤にペースが上がると、最後はA.ペトロス(ドイツ)とA.シンブ(タンザニア)が壮絶なラスト勝負を展開。両者は2時間9分48秒の同タイム(着差あり)で、シンブが金メダルに輝いた。3位はI.アウアニ(イタリア)で2時間9分53秒だった。そして8位のタイムは2時間10分34秒だ。
男子も集団内でレースを進めるのではなく、2~3人が結束して、「2時間10分30秒」を目指すペース走のようなかたちでレースに臨んでいれば、女子の小林のように入賞を実現できたかもしれない。
ただし世界陸上で入賞したとしても、マラソンの場合は、それが世界の〝順位〟というわけではない。他の種目と異なり、ネームバリューのある本当の実力者は世界陸上に参戦していないからだ。