• HOME
  • 記事
  • 野球
  • 2023年の岡田阪神と1985年の吉田阪神のどちらが強いのか…38年の時空を超えた日本一対決を考察してみた
今季ブレイクした左腕の大竹耕太郎(右)と1985年に3冠王を獲得したバースが対決すればどうなるのか?(写真・日刊スポーツ/アフロ)
今季ブレイクした左腕の大竹耕太郎(右)と1985年に3冠王を獲得したバースが対決すればどうなるのか?(写真・日刊スポーツ/アフロ)

2023年の岡田阪神と1985年の吉田阪神のどちらが強いのか…38年の時空を超えた日本一対決を考察してみた

 阪神のOB会総会・懇親会が25日、大阪市内のホテルで約230人ものOBや関係者が参加して行われ、この日、66歳の誕生日を迎えた岡田彰布監督が改めて18年ぶりの優勝と38年ぶりの日本一を報告した。会場には1985年の日本一監督である吉田義男氏や4番を打った掛布雅之氏らの顔も。当時のチームは、岡田監督が5番を打ち、ランディ・バース氏、掛布氏のクリーンナップに代表されるシーズン219本塁打を記録したニューダイナマイト打線が売り物だった。今季の阪神は対照的に2桁勝利投手が3人生まれるなど強力な投手力を武器に総合力で勝った。どちらのタイガースが最強なのか。両チームが時空を超えて対戦すればどちらが勝つのだろうか。

 27歳の岡田監督が「5番・二塁」

 

 “アレ”も“アレのアレ”も成し遂げたことでOB会も大盛況となった。懐かしい顔を前に岡田監督は挨拶に立ち、38年前ののエピソードを語った。
「38年前、僕が選手会長だった。大変なメンバーでまとめるのも大変でね。今の選手は聞き分けがいいので、近本は、だいぶ楽やったみたいで。38年前は鬼気に迫る決起集会ばっかりして。結局は酒を飲む会なんでね」
 会場には1985年のメンバーも揃っていた。岡田阪神が37年間封印されていた“日本一”の呪縛を解き放ったことで今なお語り継がれる1985年の伝説のチームが再びクローズアップされることになった。
 新旧ファンの間で話題になったのが、1985年の阪神と2023年の阪神のどちらが最強なのか?というテーマだ。1985年当時にチーフスコアラーを務めていた三宅博氏は「間違いなく今年のタイガースの方が強い」と主張した。
「時代も野球も違うので単純比較はできないが、もしこの両チームが日本シリーズ方式の4戦先勝で対戦したら今年のタイガースが勝つと思う。1985年はバース、掛布、岡田に代表されるクリーナップが、とんでもない破壊力を持った打のチーム。派手に見えるが吉田監督は手堅くバントで得点圏に走者を進め、あとは力のある打者の能力に任せるという個のチーム。投手陣はかなり弱かったが、そこを打力でカバーした。バランスとしては良くなかった。今年のタイガースは、打線を固定したところは似ているが、チームカラーは対照的で投手力を軸にした守りのチーム。そこに岡田監督の采配がプラスされて、近本、中野の1、2番コンビの機動力を軸に森下、大山がつなぎ、8番の木浪もポイントになって、なんとか1点をもぎとって勝つという全員の力で勝ったチーム。短期決戦は、投手力のあるチームが有利で、しかも、今年のタイガースの投手陣は、村上、伊藤、大竹とコントロールのいい先発陣が揃っていた。時代が変わり、スピードや動くボールなど投手のレベルは、当時に比べてかなり進化している。あれだけのコントロールでコースを丁寧につかれれば、1985年のタイガースでも、そう簡単に点は取れないだろう」
 1985年当時は、130試合制だったが阪神は、219本塁打、731得点、チーム打率は驚異の.285をマーク。ニューダイナマイト打線と称される強力打線を武器に頂点に立った。
 4月17日の甲子園での巨人戦でバース、掛布、岡田が槙原寛己から放ったバックスクリーン3連発は伝説となった。ただ三宅氏が説明するように吉田監督は戦術としてはバントを多用。141犠打はリーグ記録で、平田勝男、北村照文が25犠打を記録している。また今季の岡田阪神は打線ではチーム四球数494個がつなぎの野球の象徴的な数字となったが、当時の阪神も448個のチーム四球数を残している。
 当時の打順と成績を並べてみる。

 

関連記事一覧