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ボクシング連盟の元会長の山根明氏が死去、84歳だった
ボクシング連盟の元会長の山根明氏が死去、84歳だった

アマボク界“元ドン”山根明氏が死去…“奈良判定”に反社会勢力との交際歴…異色の元会長が残した功績は何だったのか?

 日本ボクシング連盟の会長を長らく務めた山根明氏が1月31日未明に大阪市内の病院で肺がんで亡くなった。84歳だった。山根氏はアマチュアボクシング界のドンとして君臨。会長就任後のロンドン五輪では、村田諒太氏がミドル級で金メダル、清水聡氏がバンタム級で銅メダルを獲得する快挙が起きたが、連盟有志の告発により、数々の不正や反社会勢力との関係などが表沙汰となり失脚。辞任して“永久追放”となった。その後、バラエティ番組への出演やプロボクシングイベントを立ち上げるなどしていたが、昨年末から闘病生活が続いていたという。葬儀、告別式は近親者のみで行われ、後日、改めて「偲ぶ会」が開かれる予定。喪主は28歳年下の妻、山根知巳さん。

 末期の肺ガンを患う

 

 強面のサングラス姿にドスの効いた声。昭和の時代の任侠映画に登場してくるような強烈なキャラクターで自らを「男・山根」「カリスマ」と称した山根氏が亡くなった。
 過去に何度かガンを克服、糖尿病という持病とも戦ってきたが、年末から体調を崩して、年明けに入院した際に、すでに肺ガンは手のつけようのない末期のレベルだったという。年末に会った関係者の話による、「咳き込むことが多くて元気がなかった」そうで、病院へのお見舞いも「来んでええ」と断っていた。
 アマチュアボクシング界のドンとして君臨していた。理事、副会長を経て、2011年に関係者を使って対抗候補を脅して立候補させず日本ボクシング連盟の会長に就任すると、2012年のロンドン五輪で2つのメダルを日本にもたらしたことから、2012年に「終身会長」となり“独裁政権”を築いた。だが、あまりにも理不尽に権力を乱用したため、2018年に333人の関係者が「日本ボクシングを再興する会」を立ち上げて7月にJOC、文科省、スポーツ庁などに告発状を送付した。 
 指摘された不正や暴力疑惑などは「助成金の不正流用」や「試合用グローブ等の販売の不透明な独占販売」など12項目に渡った。そのほとんどを山根氏は否定したが、特に「奈良判定」と呼ばれる審判に不正を強要した問題が注目を浴び、生々しい音声データも公開された。
 山根氏の「接戦した場合、やっぱり奈良やな。それ反対につけた場合は“お前なめてるんか?”となってくるわけ」との会話が白日のもとにさらされた。
 また地方連盟には、大会などで山根氏が宿泊する際の接待マニュアルがあり好物だった「カンロ飴」や「ぶどう」を揃えて「接待麻雀」などを用意していたことなどの異常な独裁ぶりも表面化。次から次へと“悪の所業”を暴かれ、テレビ番組などに主演して抵抗を見せたが、逆にそこで反社会組織との交際があったことを認めるなどの墓穴を掘り、山根派とされた理事のクーデターもあり、2018年8月に辞任した。連盟は翌年2月に除名処分を加え、事実上の永久追放とした。  
 その後の山根氏は、その特異なキャラクターが重宝され、バラエティ番組などに出演、週刊誌で人生相談のコーナーを持つなど、意外な活動を始め、JBCに認定されていないプロボクシングの新団体であるWYBC(ワールド・ヤマネ・ボクシング・チャンピオンシップ)を設立して興行を行うなどしていた。
「男・山根」はアマチュアボクシング界にどんな功績を残したのか。
 山根氏の独裁をひっくり返し、次の連盟会長としてガバナンスの見直し、改革に取り組み、隔年開催に格下げされていた国体を通常開催できるまでに戻し、昨年3月には、公益法人認定を受けるまでに組織を立て直した内田貞信氏は、「私も今日突然の訃報を聞いて驚いています。謹んでお悔やみを申し上げます」と神妙な表情だった。
 だが、功績については「私の立場からは何も申し上げられません」と言葉を濁して「ただボクシングへの情熱は凄い人でした」とだけ語った。
 山根氏の訃報を報じるメディアの中には、ロンドン五輪での、後にWBA世界ミドル級世界王者となった村田氏の金メダル、同じくプロに転向した清水氏の銅メダル獲得を功績しているところもあった。

 

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