
「右目の光を失った。怖かった」元4階級制覇王者の田中恒成が失明の恐れのある「網膜剥離」で29歳で電撃引退…「最後の1試合が叶うなら井上拓真と戦いたかった」
プロボクシングの元4階級制覇王者、田中恒成(29、畑中)が4日、名古屋市内で記者会見を開き電撃引退を発表した。「網膜剥離」の手術をした右目が限界で失明の危険性さえあるため引退を決意した。田中は昨年10月のWBO世界スーパーフライ級王座の初防衛戦でプメレレ・カフ(30、南アフリカ)に1-2の僅差判定負けを喫して王座から転落、その後、一度は現役続行を表明していた。田中は、日本人最速となるプロ5戦目で世界王者を奪取、3階級制覇、4階級制覇の達成はいずれも世界最速記録。プロ11年間での生涯成績は22戦20勝(11KO)2敗。
「ものがゆがんで見え段差もわからない」
名古屋が生んだボクシングスターのあまりにも早すぎる引退だった。
スーパーバンタム級の4団体統一王者、井上尚弥(大橋)の6戦を抜き、日本人最速となるプロ5戦目で世界タイトルを獲得した2015年5月のフリアン・イエドラス(メキシコ)とのWBO世界ミニマム級王座決定戦から15戦以上を中継をしていたCBC内のホールで、スーツ姿の田中は、4本のベルトを机の上に並べて「ここでプロボクサー田中恒成が引退することをご報告させていただきます」と切り出し、感謝の言葉を続けた。
明かされた引退理由は、目の怪我だ。田中は昨年10月にカフ(南アフリカ)とWBO世界ス―パフライ級王座の初防衛戦を行ったが、「試合前から両目の状態が思わしくなく試合後に手術をする予定」で臨んでいた。
リングに上がったときからライトが眩しく、相手のカフの肌の色が濃かったのでぼんやりと立っている場所がやっと確認できるという最悪の状況。序盤にパンチをもらい、3回で「右目の光を失い」見えなくなった。網膜剥離を起こしていた。田中が中盤から至近距離での戦いに切り替えざるをえなかったのはそのせいだった。5回にはアッパーを放ったが簡単に外されて右フックを浴びてダウンを奪われていた。
「距離感がわからず、むちゃくちゃ離れているところからアッパーを振っている。恥ずかしい。ずっと怖かった」
結果は1-2の僅差の判定負けだった。試合後、すぐに再起を宣言。手術をして右目の視力は戻ったが、「今でもゆがんで見えて焦点が合わない。(地面の)段差もわからない状態」になった。左目も白内障で医師からは「もう目がもろくなっていて次に試合をすると失明する。スパーリングでも失明する」と伝えられた。
「前回の試合の勝ち負けと進退は関係なく、あそこで終わるつもりはなかった。それまで何度も手術を乗り越えてきたので、今回も乗り越えられると思っていたが、もうできる道がないとわかった」
それでも「このままでは終われない。最後に1試合だけでもできないか」と再起の可能性を模索し、医師とも再手術について相談し、元WBC世界スーパーフェザー級王者の畑中清詞会長とも何度も話し合った。だが、欧州旅行から帰ってきた2月頃には田中の気持ちは固まり、4月には引退を決意した。
表には出さなかったが、目の手術は「過去に5回以上行っていた」という。プロデビュー時頃からレーザー治療を受けていて、2020年大晦日にWBO世界スーパーフライ級王者の井岡一翔(志成)に挑み、プロ初の黒星となる8回TKO負けを喫した試合の後に、最初の手術を行った。そこから田中は、スパーリングでも網膜剥離が再発するようになり、常に目を気にしながら試合前には40ラウンドくらいしか消化できない状況になった。ボクサーの眼疾は、ダメージと同時に体質に影響するとも言われている。
「もともと目が弱かった」
田中は2024年2月に世界最速の4階級制覇に成功したが、井岡戦以降、カフ戦までの7試合は、そんな恐怖を背負いながら戦っていた。
それでもリングに立ち続けた。
突き動かしたものは何だったのか。田中の答えは明白だった。
「もし見てくれる人が誰もいなければ、リングに上がれなかった。練習、減量、試合はとてもつらくて緊張もあり嫌なことしかない中で楽しんで進んでこれたのは見てくれる人がいたから。一人ではわざわざやるスポーツではないのかな」
会見では時間を戻せるならどこへ?との質問も出た。
「戻りたいところはない。悔しけれど悔いはない。引退するこの場で、一番あるのは、悔しいよりも、ありがとう。まずはこれを伝えたい」