
サッカー界も長嶋茂雄氏を悼む…“キング”カズ「何をしても華があってサマになる。面白くて印象に残る。すべてが絵になる。いるだけで周りが明るくなる。夢をみさせてくれる。そんな存在」
巨人の終身名誉監督の長嶋茂雄さん(享年89)が3日に死去した訃報を受けて、サッカー界からも悼む声が相次いだ。大の巨人ファンを公言してきたFW三浦知良(58、アトレチコ鈴鹿)がJリーグ黎明期に抱いた「サッカー界の長嶋茂雄のような存在になりたい」という誓いをあらためて記した追悼コメントを発表。長嶋さんと同じ1936年生まれで、Jリーグの初代チェアマンを務めた川淵三郎氏 (88)も、かつて対談した長嶋さんとのエピソードを回想した。
「サッカー界の長嶋茂雄のような存在になりたい」
大の巨人ファンを公言してきたカズが、所属するJFLの鈴鹿を通して、肺炎のために東京都内の病院で死去した長嶋さんへ追悼の思いを捧げた。
「長嶋さんは野球界だけでなく、すべての人たちにとってのスーパースターでした。あらゆる人たちに愛されていたのだと思います。7歳くらいの頃に目にした引退セレモニーは脳裏に焼き付いています。選手として活躍されていたときのことを、同じ時代の人間として見てはいないはずの僕らでも、『この人はすごい人だ』と勝手にインプットされていました。すごい選手だぞ、と誰かから教わったわけでもない。それでも僕も含めた人々の、生活の一部となっていました」(原文ママ、以下同じ)
こう記したカズは、Jリーグが産声をあげた1993シーズンの開幕を前に待ち焦がれてきたプロ時代を担っていく一人として何度もこんな言葉を残していた。
「サッカー界の長嶋茂雄のような存在になりたい」
長嶋さんの現役時代のプレーは、カズの記憶にほとんど残っていない。それでも巨人ファンになり、それまでの巨人の歴史を自分なりに調べた。プロ野球が国民的な人気を博してきた過程で、長嶋さんの存在が必要不可欠だったと理解したカズは、サッカーでは自分が長嶋さんの役割を演じてみせると誓いを立てていた。
当時は静岡学園高校を中退し単身でわたったブラジルで成功を収めたカズが、満を持して帰国してから3年あまり。所属するヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)と、悲願のW杯出場を目指す日本代表で中心を担っていたカズは、自らがゴールを決めた両チームの試合で、1993シーズン末まで実に1年半近くにわたる不敗神話を樹立。記録にも記憶にも残るスーパースターとして、サッカーの新時代をけん引した。
追悼コメントのなかであらためて当時を思い出すように「サッカー界の長嶋茂雄のような存在になりたい」と記したカズは、さらにこう紡いだ。
「これからJリーグが創設されようという頃、憧れにとどまらない決意にも似た思いで、取材時にそう答えていたのを思い出します」
長嶋さんは、くしくもJリーグがスタートした1993年に巨人の監督に復帰。第1次政権時の最下位に心を痛めていたカズは、監督として背番号「3」を初めて披露しただけで大ニュースとなり、シーズン最終戦で同じ勝敗で並んでいた中日を破り、セ・リーグ優勝を達成した1994年の「10.8決戦」をファンとして見つめてきた。
「プレーはもとより、日ごろの一つ一つの振る舞い、しぐさににじみ出る長嶋さんの長嶋さんたるゆえん。名言の数々。何をしても華があって、サマになる。面白くて、印象に残る。すべてが絵になる。いるだけで周りが明るくなる。人々が笑顔になれる。夢をみさせてくれる。そんな存在だったのだと思います」