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ノーマンが佐々木を倒したフィニッシュブロー(写真・山口裕朗)
ノーマンが佐々木を倒したフィニッシュブロー(写真・山口裕朗)

井上尚弥がショックを受けた「ウエルター級の世界の壁」…なぜ佐々木尽はノーマンに5回失神KOで敗れたのか…見破られていた弱点、当日の体重差5.6キロ、巧緻性の違い

 再び立ち上がるとガードを固めて前へ出た。左フック、左ボディを強引に振り回して、静まった会場に“命”を吹き込む。ボディジャブからロープに詰めてショートの左を上下に連打してみせた。接近戦でもノーマンは、佐々木の空いている場所を探して強いパンチを打ち返してくるが、佐々木は耐え抜き、このラウンド終了のゴングが鳴ると笑みを浮かべてコーナーに戻った。
 2ラウンドも佐々木は一発逆転を狙い勇敢に前へ。冷静にジャブで距離を作られ、右のカウンター、素早いサイドステップからの左アッパー、右ストレートを打ち込まれ、ボディにも散らされたが、佐々木は「来い!来い!」と何度もグローブでジェスチャーして挑発した。ガードを固めてプレスをかけ続けてコーナーに追い込み、思い切り左のボディ、フックと乱打して見せ場を作った。
 ただ挑発を受けたノーマンは「最高だな。勇気がある。でも、こちらはスマートに戦い、つきあうつもりはなかった」と冷静さを失わず無謀な打ち合いには応じなかった。
 そのノーマンが3ラウンドに勝負にきた。ステップワークを使いアクティブに動きながら右のフック、ストレート、右アッパーが何発もまともに佐々木の顔面をとらえた。佐々木は「ウオー」と雄叫びをあげたが、ノーマンの冷酷な殺戮のメニューが続く。反撃を受けない距離をキープしながら、右フックを佐々木のガードの内外と打ち分け、アッパーを確実にヒットさせて着実にダメージを与えた。それでも耐え抜く佐々木を励ますかのように「ササキコール」が起きた。
 ノーマンは4ラウンドはジャブを軸に右のフックだけを狙ってペースを落とした。ジャッジの一人は、このラウンドだけ佐々木を支持していた。勝負をかけた前のラウンドの打ち疲れか、異国での調整ミスで本当にスタミナが切れたのかと疑ったが、それは5ラウンドのフィニッシュへ向けての準備のラウンドに過ぎなかった。

 入場セレモニーで入場曲が流れる前に佐々木が事前に吹き込んだメッセージが流れた。
 「一緒に歴史を変えましょう」。そう結んだ。
 八王子駅前に置かれていた“寄せ書き”のフラッグをコーナーに掲げた。応援を力に変えようとした。リングサイドには、八王子在住の演歌の巨匠、北島三郎氏がいた。佐々木が何年も前に元WBA世界スーパーフェザー級王者、内山高志氏の大晦日の世界戦の前座に出場した際に「いつかこの世界戦のリングに上がるようにならなきゃな」と声をかけてくれた北島氏の期待に応えて、努力を重ね、途中、体重超過の失態を犯して平岡アンディ(大橋)に倒される挫折や、大怪我の試練を乗り越えながら、その約束を守った。
 実は、あまり表に出ていないが、典型的な健康優良児に見られる佐々木は、昔から喘息という持病と戦っていた。発作を抑える薬は手放せずドーピング検査にひっかからないように常備薬として事前に通知している。佐々木は、トレーニング過程で、時折「調子を落とした」と、報告することがあるが、それは喘息の発作が原因だった。さらに数年前に米国でスパーリングをする際に入国条件だった新型コロナワクチンを複数回打ったがその副作用と“後遺症”にも長らく悩まされた。
「それを乗り越えて世界王者になることで、同じような病気に悩んでいる人たちに勇気を与えることになるんだよ」。13歳の時からを見ている74歳の中屋トレーナーは、そう佐々木を励まし続けたが、夢は儚く大田区総合体育館のリングに散った。
 試合前に3ラウンドにスリーノックダウンを奪われて負けた夢を見た。
 控室に向かう通路で「負けたんですか?終わったんですか?」と聞いたところで目が覚めたそうだが、その夢が正夢になってしまった。

 

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