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中日の中田翔が引退を発表(写真・黒田史夫)
中日の中田翔が引退を発表(写真・黒田史夫)

「2軍で僕は何をすればいいんですか?」電撃引退した中日の中田翔が17年前ダルビッシュ有にかけた1本の電話「準備に汗をかけ。わからないならおまえはプロではあかん」3度の打点王へ導く金言

 だが、開幕は2軍スタート。2008年5月。失意のルーキーをRONSPOの創刊号で取材した。
 その日中田は「5番・サード」でイースタンリーグのロッテ戦に出場していた。
 高校時代に一度も守ったことのないサードにチャレンジしていた。6回に三遊間の打球に反応できずすぐにあきらめてヒットにした。ヤジが飛んだ。

「今の捕れたよ。ユニホーム汚せよ」

 すると、中田はフィールド内からその声の主をみつけて睨みつけたのである。関西でいうメンチを切ったのだ。
「どんな人が言うてんのかなあと思ってね。ヤジ聞いていたらイライラするやないですか。でもメンチではないっす(笑)。あれ飛んでいたら捕れたかもしれません。ヤジの通りっす」
 試合後、中田は室内練習場で志願してノックを受けていた。
 ルーキーがファンを威嚇する豪傑に中に秘められたナイーブな一面。センスはあるがダメになる選手とそれを思う存分に磨ける選手の区別がプロでの成否をわける。中田はただものではなかった。
 沖縄キャンプの初日に「フリー打撃は周囲をビックリさせる自信があった」とフリー打撃で30本中13本の柵越え。3月1日の横浜とのオープン戦初戦で「7番・一塁」でスタメンデビューし、いきなり2回の第1打席で高崎健太郎のスライダーを捉えてホームランを放った。
「こりゃ前に飛ばんわというボールを投げるピッチャーもいなかった。変化球もおっつけて打てる。あれで天狗になったんです」
 その後、11打数無安打で打率.118に落ち込み、自ら2軍落ちを直訴した。
「自分のレベルではついていけないと自信がなくなった。無理だと思った。野球のプレーは伝染する。僕みたいな中途半端が1軍にいるのは申し訳ないと思った」
 彼は唯我独尊に見えて常にチームへの貢献を考える。
 こうも言った。
「打球が飛んでくるのが怖かった。エラーができない。プロでは周りはエラーなんかしない。迷惑をかけるし雰囲気も壊す」
 その言葉は引退の決断理由に重なった。
 暗澹たる絶望の淵に追いつめられた悩める中田は救いを求めて、ある先輩に1本の電話をかけた。
「ここ(2軍)で僕は何をすればいいんですか?」
 相手は日ハムでエースとなっていた3歳年上のダルビッシュ有だった。
「あいつは野球を舐めている」とメディアを通じて辛辣なメッセージを送っていたダルビッシュは、中田に目をかけているからこそあえてプライベートでも厳しい言葉を投げかけていた。
「おまえは準備ができてへんからあかん。試合前にどう汗をかいて100%の状態にして挑めるか。それを2軍で学べ。同期がいても、ぺちゃくちゃおしゃべりをしていないで、自分だけは違うんだという気でやれ。アップは大切。汗は大切。それがわからんようならおまえはもうプロではあかん」
 その言葉を中田が今でも覚えているかどうかはわからない。
 だが、中田は最後まで準備を怠らない人だった。
 中田は、3年目に開幕スタメンを奪い、4年目の2011年から4番としてレギュラーに定着して、2014年、2016年、2020年と3度打点王を獲得する日ハムの顔となり、侍ジャパンの常連となりWBCに2度出場する球界を代表するスラッガーの一人となった。
 最後に。
 中田は、この取材時にプロとしてこんな誓いを立てていることも教えてくれた。
「プロに入ったとき誓ったんです。ホームラン、長打にこだわると。そのスタイルは崩したくない。これからどう成長するかにかかっていると思うんです。長打には自信があります。そこは誰にも負けたくない」
 ホームランロマン。
 中田はそのポリシーを18年間貫きユニホームを脱いだ。
 (文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

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