
長嶋巨人で「ジョン損」と酷評され、メッツで監督として「悪党軍団」をまとめ世界一となったデーブ・ジョンソン氏が死去…82歳…「思ったことは何でも言う」豪傑でデータ野球先駆けの名将
監督としてメッツを世界一に導き、選手としては故・長嶋茂雄監督時代の巨人でもプレーしたデーブ(愛称デービー)・ジョンソン氏が5日(日本時間6日)、フロリダ州内の病院で死去した。MLB公式など複数の米メディアが報じた。82歳だった。
巨人でも2年間プレーして最下位と優勝を経験
現役時代に強打の二塁手としてオリオールズで活躍したジョンソン氏は、1966年と1970年にワールドシリーズ制覇に貢献した。ゴールドグラブ賞に3度選出され、オールスターにも4度出場。1973年にはブレーブスにトレードされ43本塁打を放っている。
1975年、1976年は巨人でプレー。
1975年は現役引退後に即監督に就任した長嶋氏の1年目の大型助っ人として期待されたが、不慣れな三塁を守ったこともあり、打率.197、13本塁打、38打点に終わり、チームも最下位で「ジョン損」とファンから酷評された。
2年目も怪我の治療のための途中帰国を巡っての騒動や、練習拒否問題などでトラブルメーカーとなったが、本来の二塁に戻り、打率.275、26本塁打、74打点の活躍で優勝に貢献した。日本球界は2年で去り、1978年を最後に現役引退したが、そこからジョンソン氏はメジャー史に残る名監督としてのキャリアを歩むことになる。
米ヤフースポーツによると3Aの監督を経て1983年にメッツの監督に就任すると、ジョンソン氏は当時のGMだったフランク・キャシェン氏の名前を出してメディアに「なぜキャッシェンは私を監督として雇うのにこんなに時間がかかったんだ?」と言い放ち、そこから5シーズン続けて90勝以上をマークした。
口ひげを生やし、強いリーダーシップを発揮したジョンソン氏は、ダリル・ストロベリー、キース・ヘルナンデス、ドワイト・グッデン、ゲイリー・カーターなどの個性豊かなスター軍団をまとめ、1986年の春季キャンプでは選手に向かい、「今年は勝つだけじゃない、圧倒する」と断言。シーズン序盤に出遅れた際も、「心配するな。この先50敗はしない」と豪語した。
そのシーズンは108勝54敗で終え、ナ・リーグ優勝決定シリーズでアストロズを下し、ワールドシリーズではレッドソックスを4勝3敗で破って世界一となった。
当時のメッツは、作家ピート・ハンリーの著書タイトルにもなった「Bad Guys Won」(悪党達の勝利)と呼ばれた。
「私は選手たちを大人として扱った。グラウンドで勝ってくれる限り、それ以外のことは、くそくらえだと思っていたんだ」
放任主義を貫いたジョンソン氏は、作家ボブ・クラピッシュの著書『The Worst Team Money Can Buy』でそう語っている。
当時のメンバーの一人のストロベリーは、SNSでジョンソンをこう追悼した。