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なぜ阪神の岡田監督は同点の7回一死満塁で伊藤将司に代打を出さなかったのか…8連勝でマジックを「5」に減らした裏にある“温情采配”の理由とは?

 岡田監督は前監督時代から残り30試合くらいになるとスタッフに調べさせることがある。選手の規定投球回数、規定打席や記録だ。
 8月の暑い夜だった。
 岡田監督の話をじっくりと聞く機会があった。突然、誰が何のタイトルを獲得する可能性があるのか?という話題をふってきた。
「近本の盗塁王は固いわな。中野の最多安打、大山の最高出塁率の可能性もあるやろう。オレは、近本、中野、大山も3割に乗る可能性があると思っているんよ。ピッチャーは、村上の防御率か。今は離されているけど何人かが最多勝の可能性もあるんちゃうか。ここから岩崎はセーブが増えてくる。この数字は抜けるでえ」
 岡田監督が選手の個人記録を大事にするのは、現役時代に無冠に終わった自らの体験が原点にある。日本一となった伝説の1985年に岡田監督はバースと首位打者のタイトルを争っていた。優勝も決まり、残り3試合の時点では、岡田監督がトップに立っていた。すでに規定打席にも到達しており、そのまま休めば、タイトルは確定していた。数字を計算しながら数打席だけ立つことも可能だった。当時の吉田監督に「タイトルのために休め」と指令されれば岡田監督は従っただろう。だが、吉田監督は、スタメン表に岡田監督の名前を書き続けた。
 一方のバースは54本塁打で王貞治氏の持つ当時の55本の年間最多本塁打記録に王手をかけていた。残り2試合は巨人戦。巨人は王氏の偉大なる記録を守るためにバースを醜い敬遠攻め。バースの打率は落ちず、岡田監督は、逆にプレッシャーからか「ど真ん中ばかりに投げてくれた」という甘い球を力んで打ち損じるという凡打を重ねて打率を落とした。最終的に岡田監督が打率.342、バースが.350。わずか8厘差でタイトルを逃した。その悔しさは、今でも喉の奥にひっかかったままの小骨のように残っている。
「あんときなあ」
 岡田監督はアルコールが入ると昔話を昨日のことのように話すときがある。
 「タイトルは記録に残るが、2位は忘れさられるんよ」
 監督として選手に同じ思いをさせたくない。
 評論家時代には、あるスター選手の連続試合出場記録を途切れさせた某監督の采配を「記録を知らんかったんか?」と猛烈に批判したこともあった。
 タイトルは、プロ野球選手としての勲章であり、個人事業主として生活するための年俸をアップさせる材料にもなる。「稼がせてやりたい」という親心がある。
 そして何よりそれらの励みがチームをひとつにする効果があることも知っている。この日のゲームで岡田監督は、「野手も何とか伊藤に勝ち星というのがあった」というムードを感じ取っていた。
 2位の広島に3タテを食らわせて、マジックはついに「5」となった。岡田監督は、前日にゴルフのハンデになぞらえて「片手(5)」をカウントダウンの目安とすることを明かしていたが、いよいよゴールテープが見えてきた。
「片手になったね。次また甲子園で相手も巨人だし、楽しみにね。ファンの皆さんも応援してもらいたいですね」
 12日からは甲子園で巨人との3連戦。最短Vは14日だ。
 14日に“アレ”が決まるのは、阪神が巨人に3連勝して裏で広島がヤクルトに2敗以上、マジックの対象チームが横浜DeNAに変わる可能性もあるので横浜DeNAが中日に1敗以上することが条件となる。3連勝しなくとも2勝1敗で勝ち越して広島がヤクルトに3連敗、横浜DeNAが中日戦で2敗以上すれば、そこで決まる。
 もう立ち止まることなく一気に突っ走るかもしれない。
(文責・RONSPO編集部)

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