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青森山田高の監督から異例の転身をした黒田剛氏が就任1年目でFC町田ゼルビアをJ1に昇格させた(写真・日刊スポーツ/アフロ)
青森山田高の監督から異例の転身をした黒田剛氏が就任1年目でFC町田ゼルビアをJ1に昇格させた(写真・日刊スポーツ/アフロ)

「采配を不安視する声も多かった」なぜ高校サッカー界の名将は異例の転身1年目でFC町田をJ1に昇格させることができたのか?

  FC町田ゼルビアがクラブ史上初のJ1昇格を決めた。ロアッソ熊本のホームに乗り込んだ22日の明治安田生命J2リーグ第39節で3-0と快勝。残り3試合で3位のジュビロ磐田との勝ち点を10差に広げて、J1へ自動昇格する2位以内を確定させた。青森山田高の監督から転身した黒田剛新監督(53)のもと、堅守速攻を前面に打ち出すハードワーク軍団に変貌した町田は、第10節で立った首位を一度も譲らず悲願を達成した。高校サッカー界の名将がプロの舞台で成功を収めた要因を、人知れず抱いていた苦悩とともに追った。

 「高校サッカーとプロとは違うという声も数多く聞いた」

 

 敵地・えがお健康スタジアムに町田の選手たちの雄叫びが響きわたる。満開の笑顔も映える。そのとき、昨シーズンの15位から町田を生まれ変わらせた黒田監督は目を潤ませながらフラッシュインタビューに応じていた。
 脳裏に次々と蘇る記憶が指揮官の涙腺を緩ませていた。
「采配を不安視する声も多かったし、高校サッカーとプロとは違うという声も数多く聞いた。自分自身も不安と背中合わせの挑戦だったし、負けず嫌いの性格もあって『必ずやれる』と信じてはいながらも、怪我人が相次ぐなど、思うようなメンバーが組めない時期もあった。ただ、自分のことよりも選手たちが地に足をつけてわれわれのサッカーを貫いてくれたことと、クラブがしっかりと新米監督をサポートしてくれたことが昇格につながった」
 前半44分に青森山田高時代の教え子、ボランチ宇野禅斗(19)の豪快なミドル弾で先制した。相手のパスをカットして宇野につなぎ、アシストしたのも教え子のセンターバック藤原優大(21)だった。後半に追加した2ゴールには同じく教え子で、今夏にライバルの東京ヴェルディから加入したサイドアタッカー、バスケス・バイロン(23)が絡んだ。
 青森山田を高校サッカー界屈指の強豪に育て上げた、28年間の指導が凝縮されたかのような試合展開。大量リードを奪っても、しかし、悲願成就までの残り時間が気になった。残りが数分になると、ベンチ前に立っていた黒田監督は幾度となく左手首の腕時計に視線を落とした。そして、6分間のアディショナルタイムの末に歓喜の笛が鳴った。
 大雨の影響で延期されていたブラウブリッツ秋田との未消化戦を2-1で制し、自力でのJ1昇格決定に王手をかけてから8日。指揮官は「今日までの日々は、ちょっと生きている心地がしませんでした」と苦笑しながら、重圧を感じていたと正直に明かした。
「歴史を変える重みや、そう簡単にはいかないだろう、という思いもあったなかでチームも前半は硬さが見られたが、(宇野)禅斗のミドルシュートで先制してからは目を覚ましたのか、後半に関しては言うことなしの素晴らしい試合をしてくれた」
 約1年前の2022年10月24日に、サッカー部監督に加えて主幹教諭を務めていた青森山田高を退任し、町田の監督に就任する異例の転身が発表された。
 町田のメインスポンサー、サイバーエージェントのトップとして練習場やクラブハウスなどのハード面を完備。いま現在はクラブの社長も務める藤田晋氏(50)は、プロ経験のない黒田監督の招聘に「迷いはいっさいなかった」と当時を振り返る。
「優秀かどうかは、結果を出しているかどうかでしか判断できない。その意味で黒田監督は青森山田高で十分な結果を出していたので、プロの世界でも通用すると確信していた。監督と強化部と私の間で、最初に得たコンセンサスは『1年目で勝負をかけて昇格する』だった。昇格にふさわしい予算をかけるし、昇格にふさわしい選手を獲得する、と」

 

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