
サッカー界も長嶋茂雄氏を悼む…“キング”カズ「何をしても華があってサマになる。面白くて印象に残る。すべてが絵になる。いるだけで周りが明るくなる。夢をみさせてくれる。そんな存在」
ブラジルでプロになってから40年。58歳になった今シーズンも現役を続けるカズは競技の枠を超えて、すべてがお手本だったと長嶋さんに感謝した。
「心からお悔やみを申し上げ、そしてご冥福をお祈りいたします。とても悲しく残念ではありますが、長嶋さんが野球人として貫かれたことは、みんなの心に、失われることなく宝物としてずっと残るのではないでしょうか。『長嶋茂雄』は一つの存在として、永遠に僕のなかに、そして人々のなかで生き続けるのだろうと思います」
カズがまばゆいスポットライトを浴びた1993年。Jリーグの初代チェアマンを務めていた川淵氏は、長嶋さんとの対談に臨んでいる。ともに1936年生まれ、早生まれの長嶋さんが学年でひとつ上という関係だった。
チェアマン退任後に第10代会長を務め、名誉会長などを経て、現在は相談役を務める日本サッカー協会(JFA)を通じて発表した「お悔やみ」のコメントには、初対面だった対談時に川淵氏が抱いた思いとその後のエピソードが綴られている。
「初対面であいさつをしたときに『サッカーもようやくここまできたんだ』と深い感慨を覚えました。その後、何度もお会いしましたが、いつも僕のことを『会長、会長』と呼んでおられました。長嶋さんのことだから、きっと僕の名前を覚えていらっしゃらないんだろうと微笑ましく感じていました」
もっとも、川淵氏には偶然にも長嶋さんと同じ場所にいた記憶がある。川淵氏が日本サッカーリーグの古河電工(現・ジェフ千葉)で現役選手だった、1960年代の後半だったと追悼コメントには記されている。
「長嶋さんを初めてお見かけしたのは僕がサッカーの現役選手だったときで、広島に行く寝台列車で、長嶋さん、金田正一さん、王貞治さんの御三方が目の前を通り過ぎて行かれました。3人のスーパースターのオーラに圧倒された鮮明な記憶があります。それから25年以上が経過し、Jリーグがスタートした1993年、巨人の監督に復帰されたばかりの長嶋さんと対談させていただきました」
当時はお互いに面識はなかったものの、川淵氏が日本代表として出場し、ベスト8進出を果たした1964年の東京五輪を、長嶋さんが観戦したエピソードもある。川淵氏は訃報に接したお悔やみのコメントを、こんな言葉で締めくくっている。
「長きにわたり、日本中に元気と勇気、希望を与え続けてこられたご功績に感謝し、心から哀悼の意を表します。どうか安らかにお休みください」
異なる立場や肩書きで、長嶋さんとカズ、そして川淵氏は野球界とサッカー界をそれぞれけん引してきた。3日午前6時39分に89歳で永眠した長嶋さんへ、サッカー界が抱く畏敬の念はこれまでも、そしてこれからもずっと変わらない。