”新生岡田阪神”1軍投手コーチに久保田智之&安藤優也の2005年Vコンビが内部昇格…伝説の「むちゃくちゃやったれ」の教えを生かす
阪神は次期監督として2005年の優勝監督である岡田彰布氏(64)の擁立を決定したが、水面下でコーチングスタッフの組閣が進み、1軍投手コーチには、安藤優也(44)、久保田智之(41)の現在2軍投手コーチの2人を昇格させる方針であることが28日、明らかになった。若手戦力を1軍に送り出してきた2005年優勝メンバーの若い2人の指導者に最強投手陣の確立と、ポスト「JFK」作りを託す。その一方で、配球面や捕手陣を整備するバッテリコーチにはベテランで現在スコアラ―の嶋田宗彦氏(60)が10年ぶりに現場復帰する。
”矢野財産”である投手陣を若手指導者でブラッシュアップ
来季優勝するためのチームの”心臓部”である投手陣の舵取りを2005年Vメンバーである若い2人に託すことを決断した。 今季のチーム防御率2.67、失点425の数字は12球団ナンバーワン。
青柳が13勝&防御率2.05で、現在2冠で、西勇も防御率2.18で2位につけ9勝9敗。2年目の伊藤もローテーを守り9勝5敗、ここに、西純、才木という若手がローテーに入り、ブルペンも、若い浜地、湯浅が防御率1点台で支え、ストッパーの岩崎は不安定で6敗もしたのは、いただけないが、防御率2.00で28セーブだ。最悪のスタートを切ったケラーも、日本野球に順応してスピードも増し安定感が出てきた。 これらの投手陣を作り上げたのは、矢野監督が4年間で残した“財産“と言っていい。その若い投手陣をさらに強固にブラッシュアップするには、2軍投手コーチとして、この2年間コンビを組み、西純、才木、浜地、湯浅らの育成に携わってきた40代前半の久保田&安藤の若い2人に任せることが最適だと判断したのだ。 彼らであれば選手との間にジェネレーションギャップもない。
岡田氏は、ウィリアムズ、藤川球児氏、久保田の「JFK」という勝利方程式を確立させ、2005年にリーグ優勝を手にした革命的な戦術で知られる。来季もポスト「JFK」の確立が急務で、その勝利方程式の構築を「JFK」の1人だった久保田自身に任せようというのだ。ある意味、理にかなっている人選だろう。
久保田は、2003年に常磐大からドラフト5位で阪神に入団。当初は先発だったが、藤川氏同様に2004年の途中から当時の監督だった岡田氏がブルペンへの転向を薦め、2005年には抑えとして68試合に登板して5勝4敗27セーブ、防御率2.12の成績を残して優勝に貢献した。最速157キロを出すなど、重い球質が特徴で、タフさも持ち味で、2007年には90試合に登板して46ホールド、翌年も69試合で31ホールドで2年続けて最優秀中継ぎ投手タイトルを獲得している。
引退後は、フロントに残り、2年間は、2軍で打撃投手を務め、その後、編成部のプロスカウトを経て2021年から2軍投手コーチを務めていた。 今でも語り草となっているのが、優勝した2005年9月7日、敵地での2位中日との天王山だ。審判の疑惑判定が続き、9回に3-3の同点に追いつかれ、なお一死満塁の絶体絶命のサヨナラのピンチを迎えた。ここで岡田氏がマウンドへ直接向かい、久保田に「打たれろ。むちゃくちゃやったれ。おまえの責任やない。オレが責任を取る」と笑顔でゲキを飛ばした。
久保田は、連続三振でピンチを切り抜け、延長戦の末に勝利をもぎ取った。その緊迫した場面を乗り越えた経験と、岡田氏に教えられた究極の選手操縦術は、1軍コーチとなっても生かされるはずである。 安藤も2005年Vメンバーで井川慶氏と共に左右のエースとして11勝5敗の成績を残した。この年は表彰対象ではなかったが、リーグの最高勝率投手だった。
2002年に法政大からトヨタ自動車を経て自由枠で阪神に入団。1年目はわずか3勝に終わり、2年目の2003年は中継ぎに回ったが、岡田氏が2005年に先発転向させると素質が開花した。引退後は2018年から2軍の育成コーチを担当。2021年から久保田と共に2軍投手コーチに就任した。
久保田、安藤共に現役時代は、投げ込みによってフォームを固め、制球力と1年間を戦う土台を作った。岡田氏は、近年進んでいるスポーツ医科学やメジャー式の調整法などを知った上で、「投げ込み必要論」を持っており、その考え方は2人とも共通している。安藤氏はベンチ、久保田氏はブルペンを担当させる構想だ。