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連覇を果たしたソフトバンクの小久保監督にも変化が見られた(資料写真:Yonhap/アフロ)
連覇を果たしたソフトバンクの小久保監督にも変化が見られた(資料写真:Yonhap/アフロ)

「もう誰も上沢への批判や甲斐の穴の話をしなくなった」なぜソフトバンクは苦難を乗り越えて連覇を果たしたのか…「失敗を力に。小久保監督の思考も変化した」

 ソフトバンクが2年連続23度目のリーグ優勝を決めた。相次ぐ故障者や不振で開幕スタメンのメンバーが8人欠けるなどの危機的状況から5月3日まで最下位に沈んでいたが、4軍まである組織力を生かして、何人もの中堅選手が覚醒。日ハムとの激しいデッドヒートを制した。ソフトバンクを年間を通じて追いかけて、ビール掛けも取材したOBの池田親興氏に優勝の背景を聞いた。

 4軍まで約120人の組織力

 開幕の時点で優勝がかかった最後のマウンドに杉山が立っているとは誰が想像できただろう。27日の西武戦。4-1で迎えたその9回に小久保監督は、杉山をコールしていた。
 一死二塁からセデーニョをショートゴロ。6-4-3と送球が渡り、ゲッツーが成立すると中村がボールを持ったままマウンドへ走り、杉山はグラブを投げ捨て、海野と抱擁、歓喜の輪が生まれた。
「我を忘れて喜び過ぎた」という小久保監督は、両手を突き上げ、コーチ陣と思い切り抱き合った。そしてベルーナドームで7度宙に舞った。
 恒例の優勝インタビュー。
「本当に苦しいシーズンだったんで今年ほど1軍にたずさわった全選手、関係者の力がなければ2連覇は達成できなかった」
「苦しいシーズン」を象徴するかのように、この日のスタメンにも、周東、近藤の名前がなかった。最後までベストメンバーを揃えることができなかったが、小久保監督はベンチ入り登録されている31人こそが、「最強のメンバーだ」との姿勢を強調した。
「4軍まで合わせると約120名の選手がいる。誰一人欠けても2連覇はなかった」
 開幕は1番周東、2番近藤、3番柳田、4番山川、5番正木、6番今宮、7番ダウンズ、8番リチャード、9番谷川原でスタートした。だが、柳田がわずか11試合で故障離脱し交流戦に入って、近藤、今宮も故障で登録を抹消された。不調のダウンズ、4番山川も2軍落ち、リチャードはトレードで巨人に移籍するなど構想は大きく崩れた。
 さらに投手陣もストッパーのオスナが結果を出せずに2軍落ち、セットアッパーのヘルナンデスが故障でリハビリ生活を余儀なくされるなど、勝利方程式さえも崩壊した。
 だが、野手では殻を破れず控えに甘んじていた中堅選手が覚醒した。
 慶大卒6年目の柳町が、交流戦で打率.397の数字を残して交流戦首位打者を獲得、8月に打率.387、3本塁打、18打点の大活躍で月間MVPを獲得した育成出身15年目の牧原と、現在本当の首位打者を争っている。ショートのポジションを獲得したのは拓大―NTT西日本を経て4年目の野村勇。123試合に出場して打率.266、12本塁打、40打点の数字を残した。そして小久保監督が優勝インタビューで、わざわざ名前を出して賞賛したのが、10年目の“便利屋”川瀬である。
 小久保監督は「振り返るとあの試合がポイントになった」と言明したのが、5月2日のロッテ戦だ。1-3で迎えた9回二死走者なしから、逆転サヨナラ勝ちしたゲーム。代打でサヨナラヒットを放ったのが川瀬だった。最下位だったチームは5連敗をストップした。
「最初はベンチで控えている選手でいつでもいける準備のできている選手で心強いが、最後の1週間はレギュラーとしても心強く感じた」
 川瀬は、99試合に出場し打率.269、2本塁打、23打点、得点圏打率.327。内野は一塁、二塁、遊撃、三塁とすべてを守った。

 

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