• HOME
  • 記事
  • 野球
  • 追悼…名コーチの高代延博さんが「結果論で“4番の時は走らせるな!”では困ります」と落合博満監督に反発した夜…WBC名シーンの裏話、ノムさんを脱帽させたブロックサイン
名参謀の高代延博さんが亡くなった(写真・黒田史夫)
名参謀の高代延博さんが亡くなった(写真・黒田史夫)

追悼…名コーチの高代延博さんが「結果論で“4番の時は走らせるな!”では困ります」と落合博満監督に反発した夜…WBC名シーンの裏話、ノムさんを脱帽させたブロックサイン

 実家の割りばし工場の経営が立ちゆかなくなり「少しでも経済的にプラスになれば」と、東芝の時にプロを志望した。安月給だった広島コーチ時代は、オフに呉の海で牡蛎の収穫のバイトをした。
 日南キャンプでは、グランドコンディションを確かめるため、目覚ましを3つ枕元に置き、4時に起きて午前5時30分にはグラウンドにいた。朝飯を食べる時間がなく、心配した佐々岡真司らが銀紙に包んだおにぎりを差し入れてくれ、トイレで食べた。WBCのコーチが決まると、毎日夜に自宅の庭で300スイングしていた。
 情も厚かった。
 井端が、2013年に中日を自由契約になったとき、当時、阪神のコーチだった高代さんは「オレがチームにかけあおうか」と連絡を入れた。
 2021年4月2日の横浜DeNA戦で広島の菊池涼介の無失策記録が微妙なジャッジで「569」で止まったとき、評論家だった高代さんは飲み屋にいたが「ちょっと待って」と、スマホで映像を見直して解説をしてくれた。
「公式記録員が判断に迷うプレーは年に何回かあるが、100%ヒット判断すべきプレー。プロ野球を潰し、プロ野球ファンを失うような判断。菊池だけではなくヒットを失策にされた桑原も含めて誰も喜ばない。プロのプレーは、公式記録員というプロが根拠をもってプロらしく判断してもらいたい。できれば明日記録を訂正してもらいたい」
 そう言って菊池をかばった。
 酒が入れば宴会部長。チョコレートをおでこにつけて千昌夫の「津軽平野」を歌い、吉幾三の「酒よ」が十八番だった。意外な人脈があり、歌舞伎役者の三代目、中村橋之助さんと親交があった。日ハムの現役時代に後楽園球場のベンチ上から落ちた子供の頃の橋之助さんをキャッチした縁だったそうだ。
 広島時代には監督のオファーもあったが受けなかった。
「オレはナンバーツーで支える裏方がええんよ」
 その高代さんが2023年に関西6大学の大経大の監督になった。
「プロで、侍ジャパンで活躍できるような選手を作りたい。お世話になった野球界への恩返しやな」
 裏方の高代さんが指揮官になった理由がそれだった。
 最後に話したのは、今年のお正月。新年の挨拶で電話をするとがんの闘病で何度も手術し、2か月半も入院していたような話をしていた。
 秋になり人伝てにまた体調を崩したことを聞いたが、連絡できなかった。最後に高代さんの大好きな野球の話を聞かせてもらえれば良かったと悔いが残る。きっと、高代さんは天国の「ボールパーク」でノックバットを握っているのだろう。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

関連記事一覧