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野球殿堂入りを果たした元阪神のランディ・バース氏は米国からビデオメッセージで感謝の意を示した
野球殿堂入りを果たした元阪神のランディ・バース氏は米国からビデオメッセージで感謝の意を示した

ついに野球殿堂入りした元阪神“最強助っ人”バース氏が岡田阪神の“アレ”に熱烈エール…1985年の“日本一監督”吉田義男氏が明かした秘話とは?

2023年度の野球殿堂入りの発表及び通知式が13日に東京ドーム内の野球殿堂博物館で行われ、プレーヤー表彰では、NPBの外国人選手初の通算2000本安打を達成した前横浜DeNA監督のアレックス・ラミレス氏(48)、エキスパート表彰では、2度の三冠王に輝いた元阪神のランディ・バース氏(68)が選ばれた。また特別表彰では、阪神の応援歌「六甲おろし」などを手がけた作曲家の故・古関裕而氏が選出された。過去に外国人選手としては、元巨人のヴィクトル・スタルヒン氏と元中日の与那嶺要氏が殿堂入りしているが、いわゆる“外国人助っ人”と呼ばれる外国人選手の選出は初。多様性の時代を象徴するようなバース氏氏、ラミレス氏の殿堂入りとなった。

 「投手中心の守りを固めた岡田監督らしいチーム作りで優勝すると信じています」

 

 歓喜の第一声は、海の向こう側から届けられた。
「日本の野球殿堂に選ばれて、とても名誉を感じています」
 現役時代のトレードマークだった口髭と顎髭をそのままに、今年3月に69歳になるバース氏がアメリカから寄せたビデオメッセージのなかで喜びを語った。感謝の思いが込められた視線は阪神でプレーした約5年半で関わった、すべての人々へ向けられていた。
「阪神タイガースでプレーできたことに感謝しています。掛布雅之さん、岡田彰布さん、真弓明信さんとホームランバッターがそろっていて、彼らとは多くの時間を一緒に過ごしました。プレーするのが楽しかったし、素晴らしい経験を積むことができました」
 いまも輝きを放つタイガースの1985年。219本塁打、731得点と2位以下を寄せつけない猛打で21年ぶりにセ界を制し、西武も倒して2リーグ制移行後で初の日本一を達成した阪神で、打率.350、54本塁打、134打点で史上6人目の三冠王を獲得。リーグと日本シリーズの両方でMVPに輝いた3番のバース氏は、21世紀のいまも「史上最強の助っ人」と呼ばれる。
 もっとも、その年の開幕直後にはちょっとした“事件”があった。
「これは監督だった私にしかわからないことかもしれませんが」
 断りを入れた上で秘話の封印を解いたのは、1985年の監督だった吉田義男氏(89)だった。殿堂入り通知式でバース氏のゲストスピーチを務めた吉田氏は、当時のバース氏が左腕投手に対して苦手意識を抱いていたと明かし、さらにこう続けた。
「当時の広島には大野(豊)と川口(和久)という左のいい投手がいたんですね。これは忘れもしませんが、開幕2戦目で川口の先発が決まったときに、ランディが僕をベンチの裏に呼んで『岡田を3番に、僕を5番にしてほしい』と言ってきたんです」
 前年に日本一に輝いた広島の本拠地、広島市民球場に乗り込んだ4月14日の第2戦。前夜のマウンドに立った大野氏の前に4打数無安打3三振と封じ込まれ、チームも延長戦の末にサヨナラ負けを喫した責任に川口氏への苦手意識が追い打ちをかけたのか。打順を3番から5番に下げてほしいと直訴してきたバース氏へ、指揮官は心を鬼にして首を横に振った。
「ちょっと弱気なところがあったんですけど、断固として断りました。3番で押し通す、と。当時のチームのスローガンとして『一丸挑戦』がありました。ランディとは何度も話し合い、コミュニケーションをよく取っていったなかで、ただ単に戦力として打つだけではなくて、信頼関係といいますか、目標である勝つことへ向けてひとつになっていきました」

 

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