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タイで勝てない日本人ボクサー。元日本ミニマム級王者である田中教仁は2度目の世界戦で果敢に勝負を仕掛けたが、決定打に欠けて判定負けを喫した(写真・三迫ジム提供)
タイで勝てない日本人ボクサー。元日本ミニマム級王者である田中教仁は2度目の世界戦で果敢に勝負を仕掛けたが、決定打に欠けて判定負けを喫した(写真・三迫ジム提供)

なぜ日本人ボクサーはタイのリングで勝てないのか…37歳の田中教仁がWBC王座に「死ぬ気で」挑むも判定負けで「鬼門」26敗目

 

プロボクシングのWBC世界ミニマム級タイトルマッチが31日、タイのナコンラチャシマで行われ、挑戦者の同級14位の田中教仁(37、三迫)が王者のパンヤ・プラダブシー(31、タイ)に0―3判定で敗れ王座奪取に失敗した。タイでの日本人ボクサーの世界戦戦績は26敗1分けとなり、ファイティング原田氏以来、「日本人ボクサーの勝てない鬼門」のジンクスを覆すことができなかった。プロ17年目の田中は、2度目の世界挑戦失敗で20勝(10KO)9敗の戦績となった。

「最終ラウンドに立った時、死んでもいいと思っていた」

 試合終了のゴングを聞くと田中は悔しそうな表情を浮かべた

「最終ラウンドに立った時、死んでもいいと思っていた」

 KOでなければ負ける。

 セコンドからは「倒さないと勝てない」と、インターバルごとに言われた。敵地のタイであるという“バイアス”をかけて、ここまでのポイントを計算すると、どう考えても不利だ。

 田中は、被弾覚悟で勝負に出たが、すっかりスタミナを消耗し顔も腫らしていた王者は、したたかに足を使い、“打ち逃げ“のパンチを多用しながらクリンチでさばく。田中は、残り10秒を知らせる拍子木で、最後のラッシュを仕掛けたが、王者をとらえきることができなかった。この瞬間、敗北を覚悟したのだろう。

 レフェリーに手を握られ判定を聞く。英語のアナウンスはなく、すべてタイ語。田中は、レフェリーが王者の右手を掲げたことで敗戦を知った。スコアは「119-109」「118―110」「116―112」だった。

「もう何もかも情けない。世界初挑戦でもなく、トップコンテンダー(ランク1位)でもない。所属ジムがくれたチャンスなので…会長にベルトを巻きたかったし、死ぬ覚悟でいたので…」

 控室で田中は途方に暮れた。

「日本人が勝てない鬼門」のジンクスに真っ向から挑んだ。

 1963年1月12日に世界フライ級王者だったファイティング原田氏が、前王者のポーン・キングピッチの母国でリターンマッチに応じて、0-2の判定負けを喫して以来、タイでの日本人ボクサーの戦績は25敗1分け。2013年にWBA世界フライ級暫定タイトルに挑戦した江藤光喜(白井・具志堅)が判定勝利したが、JBCは当時乱発していた暫定王座を公認しておらずカウントされていない。1分けは2011年12月に向井寛史(六島)がバンコクでWBC世界フライ級王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)に挑戦した試合で、この試合は1回に偶然のバッティングがあっての負傷引き分け。12ラウンドを戦っての引き分けではない。

 今回、田中が妨害工作を受けたかどうかは取材できていないが、2011年に元WBA世界スーパーフライ級王者の名城信男(現在近畿大監督、当時六島)が、WBC世界同級王者のスリヤン・ソー・ルンヴィサイに挑戦した世界戦がバンコクで行われた際に同行したが、宿泊していたホテルの廊下の電話が一晩中鳴り続け、相手のジムで行われた前日計量では、秤に細工をされ、名城が計量オーバーとされた。名城陣営がペットボトルを使って秤の正確性を調べようとすると拒否され、よくよく見ると、秤の目盛りがおかしかったため、猛抗議をして再計量してクリアしたことがある。何がなんでも負けられない。陣営がどんな手を使っても日本人ボクサーを迎え撃つのがタイの世界戦なのである。

 当然選手の気合の入り方も尋常ではない。

 日本のジム所属ボクサーとしては、1993年に当時最強だったWBC世界フライ級王者ユーリ・アルバチャコフ(協栄)が2度目の防衛戦をバンコクで前王者のムアンチャイ・キティカセムと行ったが、ダウンを奪うも、3分が経過していないのに途中でゴングが鳴らして救済するという暴挙があった。それでも力で優るユーリは9回TKO勝利したが、KOでしか勝てない「鬼門」がタイのリングなのだ。

 

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