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辰吉寿以輝が2年9が月ぶりの復帰戦をTKO勝利で飾る。左フックで1度目のダウンを奪った(写真提供・ボクシングモバイル)
辰吉寿以輝が2年9が月ぶりの復帰戦をTKO勝利で飾る。左フックで1度目のダウンを奪った(写真提供・ボクシングモバイル)

なぜ辰吉寿以輝は2年9か月ぶりの復帰戦をTKO勝利で飾れたのか…父・丈一郎のシリモンコン戦に重ねたメンタル…カリスマの感想は?

 試合前には、1本の父の昔の試合動画を見直した。今なお名勝負として語り継がれる薬師寺保栄との統一戦に判定で敗れ、引退騒動に巻き込まれた後の復帰戦となる1995年8月ラスベガスでのノエ・サンティヤナ(メキシコ)戦。9回TKO勝ちした試合を選んだのは「復帰」のキーワードに自らを重ねたからだ。
「足の運びやジャブの使い方を参考にした」
 山原は、プロのキャリアこそ3戦2勝1敗だが、アマ実績があり、しかも1階級上のフェザー級。この日の興行主でもある大鵬健文会長が、「この相手に負けているようじゃ先がない」とマッチメイクしたものだが、2年9か月のブランク明けの相手としてはハードルが高かった。
「なかなか(の強気のマッチメイク)やなあ」とも思ったが、父のある名セリフを思い出した。
 1996年11月にTKOで王座返り咲きを果たした伝説のシリモンコン・ナコントンパークビュー(タイ)との試合前に語った「年下に負けるわけにはいかない」という言葉である。
 当時、シリモンコンは20歳の売り出し中のホープの世界王者だった。
「シリモンコン戦のマインド。相手は僕が中3のときの中1だから(笑)。負けるわけにはいかんかった」
 加えて試合の1カ月前に、ろっ骨、左肩、肘を故障していた。決して順調に仕上げたわけではなかったが、「不安はなかった」という。
 リングサイドには、父と母のるみ夫人、兄の寿希也ファミリーが見守っていた。
 父は、いつもの辰吉流で息子の復帰戦を称え、好ファイトで対抗した山原に拍手を送った。
「手と足はバラバラやった。普通で言えば点はやれんけど、ブランクを考えたら、あれだけ動けたらええんちゃう。合格とか合格ちゃうとかではなくて、ええんちゃうの」
 父と母は揃って「辰吉家はブランクや逆境に強い」と寿以輝に言い聞かせていた。
「オレは5年。それに比べたら寿以輝の3年なんか短いで」
 辰吉は現役時代に眼疾で2度、1年以上のブランクを作り、2003年に国内ライセンスを失効してからは、2008年にタイで5年のブランクを経て復帰リングに立っている。るみ夫人が横から「あんたまだ現役なんやから、ブランクは20年以上やんか?」と突っ込んで「そうそう。一番長いブランク」と笑った。
「ブランクで怖いのは頭で考えているイメージと実際の肉体の反応がずれること。オレの場合は、相手のレベルが世界戦のレベルで止まっていて、復帰戦では相手が遅すぎて戸惑ったことがある」
 だが、息子は、その父の心配の一歩先をいっていた。
「考えて動いていない。練習でしたことを体に植え付けて、その場、その場の(対応で)やった。自然体。考えるとギャップが生まれてしまうんで」

 

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