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仙台育英の須江監督は7回に勝負を決める満塁弾を放った岩崎をベンチ前で抱きしめた(写真・日刊スポーツ/アフロ)
仙台育英の須江監督は7回に勝負を決める満塁弾を放った岩崎をベンチ前で抱きしめた(写真・日刊スポーツ/アフロ)

なぜ仙台育英は「東北の壁」を打ち破り全国制覇を成し遂げたのか…ディレードスチールと岩崎生弥の満塁弾が物語る”須江イズム”

 

第104回全国高校野球選手権の決勝が22日、甲子園球場で行われ仙台育英が下関国際を8-1で下して初優勝、東北勢に初の深紅の優勝旗をもたらした。ディレードスチールを仕掛けるなど野球を熟知した相手のスキをつく野球で序盤にリードを奪うと7回に昨年大病を患い、宮城県大会では登録外だった岩崎生弥が勝負を決める満塁弾。異例の投手5人制で勝ち進んできたチームは決勝も7回までを1失点に抑えた左腕の斎藤蓉から高橋煌稀への継投で下関国際の反撃を許さず、東北勢が春夏を通じ12度決勝に進みながらも、つかめなかった悲願を達成した。なぜ仙台育英は全国制覇を果たせたのか。背景には、須江航監督が5年かけて成就させたチーム作りへの信念があった。

須江監督が感動のVスピーチ「青春はすごく密」

 感動の名スピーチだった。  時折、涙につまりながら、39歳の須江監督は、優勝インタビューを「宮城のみなさん、東北のみなさん、おめでとうございます。100年、開かなかった扉が開いたので多くの人の顔が浮かびました」という言葉で始めた。  3年生は、新型コロナの影響で春夏の甲子園大会が中止となった“コロナに泣いた世代“である。 「高校生活というのは、僕たち大人が過ごしてきた高校生活とはまったく違うんです。青春って、すごく密。でもそういうことは全部ダメだ、ダメだと言われ活動をしてても、どこかでストップがかかり、どこかでいつも止まってしまう苦しい中で本当にあきらめないでやってくれた。でも、それをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて全国の高校生のみんながやってくれた。例えば今日の下関国際さんもそう大阪桐蔭さんとか、そういう目標になるチームがあったから、どんなときでもあきらめないで暗い中でも走っていけた。すべての高校生の努力のたまものが、ただただ最後、僕たちがここに立ったというだけ。ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」  須江監督の呼びかけは全国の高校野球ファンの感動を呼んだ。  東北勢のツワモノたちが決勝までのぼりつめたのが夏の大会だけで過去に9度。だが、いずれもあと1勝の壁に跳ね返された。仙台育英もオリックスに指名される佐藤世那を擁した7年前は、中日で活躍している小笠原慎之介、オリックスの吉田凌の2枚看板の東海大相模に敗れた。気候の影響、選手層、練習環境、野球レベルの違いなど東北勢のハンデといわれたものは、時代と共に克服していた。仙台育英の練習場は、人工芝、土のグラウンド、室内練習場、クラブハウスまで完備しており、白河の関越えは時間の問題かと思われていたが、何かが足りなかった。その足りない何かを埋めた仙台育英の野球を物語るような決勝戦だった。  4回の先制点にベンチの戦略が背景にあった。  下関国際の先発左腕の古賀康誠に3回まで無得点に抑えられていたが、打順がふた回り目に入ると戦術をガラっと変えた。ここまではボールを見極めてきた打線がファーストストライクから狙っていく積極策にチェンジした。先頭の山田脩也は全球ストライクを振った。レフト線へ引っ張っての二塁打で出塁。バントで送ると、4番の斎藤陽がまた初球のカウントを取るストレートをライト前に弾き返して先制。一転した積極策が下関国際バッテリーを混乱させたようだった。

 

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