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仙台育英の須江監督は7回に勝負を決める満塁弾を放った岩崎をベンチ前で抱きしめた(写真・日刊スポーツ/アフロ)
仙台育英の須江監督は7回に勝負を決める満塁弾を放った岩崎をベンチ前で抱きしめた(写真・日刊スポーツ/アフロ)

なぜ仙台育英は「東北の壁」を打ち破り全国制覇を成し遂げたのか…ディレードスチールと岩崎生弥の満塁弾が物語る”須江イズム”

 点を奪った後の大事なイニングとなる5回に四球、ヒットで無死一、二塁のピンチを背負った。100%バントのケース。その2球目に三塁と一塁が猛チャージをかけてショートが三塁、セカンドが一塁カバーに入る通称「ブルドッグ」と呼ばれる守備シフトでプレッシャーをかけた。ストライクが入らず古賀はバントをしなかったが、そのシフトにプレッシャーがかかったのだろう。続く3球目には「ブルドッグ」はやらなかったが、古賀のバントは投手正面に。斎藤は迷わず三塁へ送り封殺。続く橋爪成を二ゴロ併殺打に打ち取り、この回を無失点に切り抜けたのである。

 その裏、仙台育英野球の象徴的シーンが生まれる。5回二死三塁から橋本航河のセンター前タイムリーで2点目を奪った直後だった。なお二死一塁で2番の山田の打席で、カウント0ー2からの3球目に一塁走者の橋本航河がディレードスチールを仕掛けたのだ。俊足の橋本は、通常の盗塁のスタートを切らず、古賀の137キロのストレートをキャッチャーの橋爪が捕球したとほぼ同時にセカンドリードを取っていた位置から走ったのだ。盗塁は警戒していた橋爪も完全にスキをつかれた。あわててボールを握り直した分、送球が遅れて二塁はセーフ。古賀のクイックは不十分で通常のスチールでも、成功確率は低くはなかったが、「気を抜くカウント」(須江監督)と狙い澄ましての秘策だった。

 得点圏に走者を進め山田は見送ればボールの低めのスライダーにチョンとバットを出して打球はセンター前へ落ちて3点目。さらに続く森が四球を選び、下関国際のキーマン仲井慎を引っ張り出した。  繊細な天秤のようにちょっとしたことで動く、甲子園の勝敗の流れが仙台育英へと傾き始めた。

 下関国際も6回に先頭の赤瀬健心が三塁打で出塁し、仲井の内野ゴロで1点を返したが、3-1で迎えた7回にドラマが待っていた。

 1点を追加し、さらに一死満塁とチャンスが広がって背番号「14」の5番打者、岩崎に打席が回ってきた。  ボールが2つ先行して下関国際バッテリーがタイムを取ると、須江監督も伝令を岩崎に送った。スクイズがあってもおかしくなかった場面だったが、須江監督が伝えたのは、「スクイズはない」。岩崎の腹は決まった。カウント3―1から見送ればボールとなる高めのストレートをフルスイング。日本一の夢を乗せた白球をライトからレフトへ吹く甲子園の浜風に乗せた。7点差とする満塁弾。ベンチ前で須江監督は、右手でガッツポーズを作ってダイヤモンドを1周してきた岩崎を強く抱きしめた。決勝まで4試合で39得点も奪っている仙台育英だが、本塁打は、これが初。

「打った瞬間は(打球が上がったので)入るとは思わず、“いけ!”という感じでした。みんなの応援がなければ、ここでの1本は出なかった。(みんなに)ありがとうという気持ちでした」

 昨年6月に大病を患い、長期療養を余儀なくされた。練習に参加できず今夏も県大会は登録メンバーから外れた。だが、その間にあった紅白戦などで結果を出した。須江監督のメンバー選びの鉄則は、公平性を担保するための数値化である。成績はもちろんのこと、投手にはストライク率を求め、打者のスイングスピードや打球角度までチェックする。岩崎は自ら結果を出すことで甲子園のベンチ入りユニホームを手にし、そして甲子園でも2回戦、3回戦で“恐怖の代打“として結果を出し続けて準々決勝の愛工大名電戦からスタメン抜擢されたのである。

 

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