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ドイツ戦勝利から一夜明けてコスタリカ戦に向けて始動した森保ジャパン。同点ゴールをあげた堂安は「まだ歴史は変わっていない」と気持ちを引き締めていた
ドイツ戦勝利から一夜明けてコスタリカ戦に向けて始動した森保ジャパン。同点ゴールをあげた堂安は「まだ歴史は変わっていない」と気持ちを引き締めていた

歴史的勝利から一夜明けてヒーローの1人堂安律が「昨日の結果は忘れた方がいい」と語る理由とは…“落選”原口元気から背番号「8」を託された裏話も

 FIFAワールドカップ・カタール大会のグループE初戦で、強豪ドイツ代表を破る大番狂わせを演じた日本代表が一夜明けた24日、ドーハ市内の練習拠点で、コスタリカ代表との第2戦へ向けて始動した。途中出場して同点弾を決めてヒーローの1人となったMF堂安律(24、フライブルク)が取材に応じ、オランダの名門PSVへ移籍した2019-20シーズンにどん底にいたと告白。逆境からはい上がってW杯代表に選出された直後には、落選したMF原口元気(31、ウニオン・ベルリン)からエールとともに背番号8を託されたという裏話を明かした。

 「大きな試合をしたと思うがまだ歴史は変わっていない」

 

 友人や知人から数え切れないほどのメッセージが届いた。インターネット上では4度のW杯優勝を誇るドイツからもぎ取った逆転勝利が、日本中を大騒ぎさせたと報じられている。
 途中出場から4分後の後半30分に同点ゴールを一閃。それでも世紀の大番狂わせを演じたヒーローの一人になった堂安は気持ちを切り替え、一夜明けた練習に臨んでいた。
「昨日のうちに喜ぶだけ喜んだので、今日は特に振り返ることもなく、次に向けた準備を始めています。日本サッカーの歴史のなかでもものすごく大きな試合をしたと思いますけど、それでもまだ歴史は変わっていない。ベスト8までいくのが、僕たちの最低限の目標なので」
 ドイツ撃破の舞台となったハリーファ国際スタジアムでは、昨年9月7日に中国代表とのW杯アジア最終予選の第2戦が行われている。コロナ禍もあって中国が国内での開催を断念。第三国のカタールで開催された一戦には、堂安もメンバーに招集されていた。
 しかし、堂安に出場機会が訪れず、かつ交代枠を2つも残したまま、試合は日本が1-0で勝利した。結局、アジア最終予選における堂安は出場わずか2試合、プレー時間32分にとどまり、7大会連続7度目のW杯出場を決めた今年3月シリーズには落選も味わわされた。
「いろいろな選手が輝く姿を見てきて、悔しさしかなかったですね。チームメイトの活躍が嬉しい反面、心のなかでは『ふざけるな』と思いながら試合も見ていました。特に昨日のスタジアムでは、中国戦後のピッチを一人で走ったのを覚えています。なので、悪い印象から少しずついい印象に変えていきたいと思って、昨日はピッチに立ちました」
 しかし、昨年9月よりさらにどん底の時期が、堂安のキャリアには刻まれている。
 中学生年代のジュニアユースから所属してきたガンバ大阪から、ヨーロッパへ戦いの舞台を移して3年目。オランダのフローニンゲンから同国の名門PSVへ移籍した2019-20シーズンを、堂安は「自信が一気になくなった感じでした」と振り返っている。
「当時は『自分はどのようなサッカーをしていたのか』と思うぐらいのプレーしかできなかった。一番つらかったというか、自分の感覚が元に戻る感じがしなかった。ただ単に最も調子が悪かったというよりも、変な状況に陥ってしまったような状態だったので」
 フローニンゲンにおける2年間のプレーが評価され、PSVへのステップアップを果たした。1913年に創立されたPSVの歴史で初めてとなる日本人選手になったが、出場機会を重ねるたびに胸中には違和感を募らせていった。堂安は当時をこう振り返ったことがある。
「PSVでは自分の周りにスーパーな選手がいる分、自分が1対1で仕掛けるのをやめてしまい、味方へのパスを選択する場面が多くなっていた。本当に少しずつですけど、プレースタイルが自分らしくなくなったというか、ネガティブなものになっていったと感じていました」
 負のスパイラルに陥っていたPSVで、2シーズン目が開幕する直前だった2020年9月。サッカー人生のターニングポイントとなる決断を、堂安は自らの意思を貫く形で下している。
 12シーズンぶりにブンデスリーガ1部へ臨む、アルミニア・ビーレフェルトへの期限付き移籍。オランダからヨーロッパ5大リーグのひとつ、ブンデスリーガ1部への移籍はステップアップとなる。しかし、対照的に21回のリーグ優勝を誇るPSVから昇格組のビーレフェルトへの移籍はステップアップどころか、むしろ“都落ち”と捉えられかねないことを堂安自身が誰よりも理解していた。

 

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