• HOME
  • 記事
  • 野球
  • 追悼…通算213勝を誇る広島の“レジェンド”北別府学氏が遺したメッセージ…「探求心を忘れるな」
広島カープの現役時代の北別府学氏は独特のフォームとリズムで抜群の制球力を誇った(写真・日刊スポーツ/アフロ)
広島カープの現役時代の北別府学氏は独特のフォームとリズムで抜群の制球力を誇った(写真・日刊スポーツ/アフロ)

追悼…通算213勝を誇る広島の“レジェンド”北別府学氏が遺したメッセージ…「探求心を忘れるな」

 古葉監督は、北別府氏の先発する際に、道原氏や達川氏に、こんなプレッシャーをかけたという。
「もしペーが打たれたら捕手のリードが悪いということだよ」
 実際、北別府氏が負け投手になっても古葉監督は、北別府氏を責めることはなく、捕手陣を叱責した。
「確かにそうなんです。要求した球種を構えたミットに正確に投げるので捕手のリードが悪いってことなんです」
 そのコントロールの源泉は、高校時代の県を跨いでの20キロ以上の自転車通学であり、糸を張ってのピッチング練習だったのだろう。
 お酒は弱かった。
 少し飲むだけで顔が真っ赤になった。
 日南キャンプの小さなスナックで何度か酒席を共にしたが、「音痴なんで」とカラオケは歌わなかった。奥さんとの結婚は、私がスクープしたのだが、「なんで知っているんですか」と驚き、奥さんは、その北別府氏の純で真っすぐな人柄に惹かれたという話をしていた。
 みんなに好かれた。
 ロッテから移籍してきた金田留広氏に連れられ、金田氏が親交のあった美空ひばりさんの自宅も何度か訪れた。美空ひばりさんも北別府氏の人柄を気に入り応援してていた。チームの中軸になると、後輩の面倒見もよく、津田恒美氏を可愛がり、脳腫瘍が発覚すると、入院先に幾度もお見舞いに通って励ました。津田氏が、32歳で短い生涯を終えた時、北別府氏は、涙が枯れるほど号泣していた。
 嘘の言えない男だった。
 本音を語るブログが評判になっていたが、自分に正直に生きているからこそ、彼の言葉には重みがあった。
 
 3年前に難病の成人T細胞白血病発症していたことを公表した。骨髄移植を受けるなどして、一時は持ち直していたという話を聞いていた。同じ病を克服して、東京五輪出場を果たした水泳の池江璃花子さん、悪性のリンパ腫から“帰還”したアナウンサーの笠井信輔さんらの復活劇に勇気づけられ「オレも池江さんや笠井さんに続いて復活して見せる」と、病に打ち勝つ気迫を見せていたという話も聞いた。
 きっと最後の最後まで希望を失わず、明るく前を向き続けていたのだろう。
 最後に会ったのは3年前。広島市内のホテルで2人でトークショーをした。
――これからの若い選手に伝えたいメッセージは?
 私のそんな質問にペーはこう答えた。
「探求心を忘れずに持ち続けて欲しい。どうすればもっと速いボールを投げられるか。思っているところにコントロールするにはどうすればいいか。もっと野球がうまくなるためには何をすればいいのか。向上心を持って研究して努力をしてもらいたい」
 投手コーチ経験もある北別府氏は、いつもカープの若い投手の未来を気にかけていた。
 彼の生き様を示すような、その言葉が忘れられない。
 合掌。安らかにお眠りください。
(文責・駒沢悟/フリーライター)

関連記事一覧