ラ・リーガの2部チームでプレーしていた柴崎岳が“古巣”鹿島に電撃復帰(写真:なかしまだいすけ/アフロ)
ラ・リーガの2部チームでプレーしていた柴崎岳が“古巣”鹿島に電撃復帰(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

なぜ柴崎岳は“古巣”鹿島への電撃復帰を決断したのか?

 鹿島の歴史を振り返れば、ヨーロッパへ挑戦の場を求めた主軸選手の大半が復帰している。2000年代の鈴木隆行、柳沢敦、中田浩二に加えて、返信のなかに出てくる小笠原満男が夏場に復帰した2007シーズンは一気に調子を上げてリーグ戦を制覇。前人未到のリーグ戦3連覇を含めて、6年間で7個のタイトルを獲得する黄金時代を手繰り寄せた。
 2018シーズンは内田篤人が約7年半ぶりに復帰して大きな注目を集めた。このときも内田は、鹿島について「ずっと帰ってきたかったチームでした」と語っている。ともに2019年夏にヨーロッパへわたったDF安西幸輝(28)は2021シーズンに、FW鈴木優磨(27)は昨シーズンにそれぞれ復帰。岩政大樹監督(41)が率いるチームの主軸を務めている。
 今シーズンからはDF植田直通(28)が約4年半ぶりに、DF昌子源(30)がガンバ経由で約3年ぶりに復帰した。トゥールーズからガンバに移籍した際の昌子やFW大迫勇也(33、ヴィッセル神戸)、FW安部裕葵(24、浦和レッズ)らタイミングが合わなかったケースもあるが、それでも鹿島はヨーロッパのシーズンが終わるタイミングで常に声をかけてきた。
 クラブから巣立ったOBを大切にする伝統と、ピッチに立てばいっさいの妥協や甘えを許さず、徹底して「敗北」の二文字を拒否するメンタリティー。鹿島を成り立たせる両輪にいまも魅せられているからこそ、柴崎も他チームという選択肢を持たなかった。
 クラブの悲願でもあったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を2018シーズンに制している鹿島だが、国内タイトルはリーグ戦と天皇杯の二冠を獲得した2016シーズンが最後。そして、当時の主力が昌子であり、植田であり、レアル・マドリードとのクラブW杯決勝で2ゴールをあげ、海外移籍への道を自ら切り開いた柴崎だった。
 同じ1992年生まれで同期入団の柴崎を、昌子は「鹿島の心臓」と語っていた。
「岳があそこまで走るから、オレたちも走れる。フィジカル練習ひとつを取ってもアイツが頑張るから、オレたちも『しんどい』とか『疲れた』とか言えない」
 やや華奢に映る身長175cm体重64kgの体にもともと搭載されていた無尽蔵のスタミナに、テネリフェからヘタフェ、デポルティーボ・ラ・コルーニャ、レガネスとスペイン一筋でプレーした6年半と日本代表で計60試合プレーした濃厚な経験、そして森保ジャパンでゲームキャプテンを託されたこともあるリーダーシップが加わる。
 5月で31歳になった柴崎は、かつての小笠原のように若い選手たちを背中でけん引する、いぶし銀の存在感を身にまといながら、正式契約後の4日からチームに合流。リーグ戦で首位の横浜F・マリノスと勝ち点8ポイント差の5位、YBCルヴァンカップでベスト8とタイトル獲得の可能性を残している鹿島を、攻撃面とメンタル面の両方で変えていく。
(文責・藤江直人/スポーツライター)

関連記事一覧