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中日の元ドラフト1位の小島弘務氏が亡くなった
中日の元ドラフト1位の小島弘務氏が亡くなった

追悼…「血に染まったタオル」2度の“隠し玉”ドラフト入団の元中日・小島弘務氏の数奇な運命と星野仙一氏の鉄拳制裁!

 だが、西武の編成トップだった根本陸夫氏が“浪人”となった小島氏の面倒を見る。西武のオーナーにかけあい、契約金や年俸も条件付きでそのままに。小手指の自宅に下宿させ、旧知の近くの高校に話をつけ、そのグランドでマンツーマンで練習を見たのだ。数か月で小島氏は、その根本氏の家から“脱走”することになるのが、その時の昔話を面白おかしく何度か聞かせてもらったことがあった。
「もう地獄ですよ。とにかく根本さんは怖かった。一緒に住んでいてもまともに口を聞いたことがなかった。この人いったい何者なんだって。わかるでしょ? でも、毎日、毎日、練習にくるんですよ。あの時にめちゃくちゃ投げ込みをさせられたことでフォームも固まったし、ベースができたんですよ。感謝しています」
 小島氏の体を沈み込むようにして投げる独特の球持ちのいいスタイルはここで確立された。
 西武との再契約が禁止されていた小島氏は、1年間、どこにも所属していなかったことで、各球団のドラフトの上位リストからは外れていた。
 だが、根本氏に誘われ西武で2軍監督を務めるなど、プロの世界に足を踏み入れ、“懐刀的な関係”にあった岡田悦哉氏が、その時、明治大の後輩、星野氏のもと中日2軍監督を経てスカウトに転身していた。
 根本氏に「おまえところで獲れ。実力はオレが保証する」と言われた岡田氏は、京都の小島氏の実家まで投球練習を見に行った上で、それを星野氏に相談した。
 星野氏は、岡田氏に絶対的な信頼を置いていた。
 1990年のドラフト会議。
 亜大の小池秀郎に1位入札したものの、クジで外すと、外れ1位で中日は“隠し玉”の小島氏を指名した。指名会見は実家近くの農協事務所で行われた。
 小島氏は、先発ローテーに定着できなかったが、ロングもできる貴重な中継ぎとして存在感を示した。1998年にトレードでロッテに移籍し、1999年に戦力外通告を受けるまで、167試合に登板して19勝15敗8セーブ、防御率3.60の成績を残した。翌年、台湾プロ野球に挑戦して引退した小島氏は、そこから焼肉店経営を経てアマチュア指導者の道へ舵をきる。
 2015年から追手門学院大学の監督、2022年から佐野心氏に声をかけられ、浜松開誠館高の投手コーチを務め、2024年から念願の高校野球監督を浜松修学舎高でスタートするも、昨年11月に体調を崩して今年3月には退任していた。
 小島氏が数奇な野球人生で得た“逆境に打ち勝つ力”は、彼の教え子たちに受け継がれていくに違いない。合掌。

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