J2のヴァンフォーレ甲府が悲願の天皇杯初優勝。J2勢としては史上2チーム目の快挙だ(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
J2のヴァンフォーレ甲府が悲願の天皇杯初優勝。J2勢としては史上2チーム目の快挙だ(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

なぜJ2甲府の天皇杯V“史上最大のジャイキリ”が実現したのか?

  天皇杯決勝が16日に日産スタジアムで行われ、J2のヴァンフォーレ甲府が1-1から突入したPK戦を5-4で制し、サンフレッチェ広島を破る“下克上”で頂点に立った。延長後半11分に甲府のDF山本英臣(42)がPKを献上するも、GK河田晃兵(35)がこれをセーブ。もつれ込んだPK戦で河田が広島の4人目を止め、甲府の最後を託された山本が決める劇的な幕切れで2011年度のFC東京以来、J2勢として史上2チーム目の優勝をもぎ取った。

 42歳の甲府のレジェンドが決める

 

 最後を託せるのはこの男、甲府のレジェンドしかいなかった。
 成功すれば天皇杯優勝が決まり、失敗すればPK戦がサドンデスに突入する。緊張と興奮が交錯するなかで5人目のキッカー、山本がゆっくりとペナルティーマークへ近づいていった。
 契約満了に伴い、中学生年代のジュニアユースから所属してきたジェフ市原(現ジェフ千葉)を4年目で退団。翌2003シーズンに加入した甲府で在籍20シーズン目を迎え、6月には42歳になった最古参選手は万感の思いを込めて、完璧な一撃をゴール左隅へ決めた。
「若い選手をはじめ、いろいろな選手が僕をこの舞台に連れてきてくれて本当に感謝しています」
 前身となる甲府クラブが1965年に結成されてから58年目にして初のビッグタイトルを獲得した。
 3回戦の北海道コンサドーレ札幌を皮切りにサガン鳥栖、アビスパ福岡、鹿島アントラーズとJ1勢を撃破。ジャイアントキリング旋風を巻き起こし、広島との決勝へ甲府を導いた後輩たちに感謝した山本は、おもむろに苦笑いを浮かべた。
「それを思い切りぶち壊しそうになったんですけど、河田選手に助けてもらってよかったです」
 山本が振り返った絶体絶命のピンチは、痛んだ味方選手との交代で自身が急きょ投入されてからわずか4分後の延長後半11分に訪れた。甲府ゴール前で広島のMF満田誠(23)が通した縦パスが、ペナルティーエリア内でブロックしようとした山本の左腕に当たった。
 佐藤隆治主審のホイッスルが鳴り響く。ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)のチェックをへてもPKの判定は変わらず、山本が市原へ昇格した1999年に生まれた流通経済大卒のルーキー、満田が勝ち越しゴールをかけてボールをセットした。
 12ヤード(約10.97m)の距離で対峙した河田はこのとき、甲府で長く喜怒哀楽を分かち合ってきた山本の心中を慮り、絶対に止めてみせると自らに言い聞かせていた。
「長年このクラブを支えている、山本英臣という素晴らしい選手がいるんですけど、ハンドを取られたのが彼だったので、このまま終わらせるわけにはいかないと。無我夢中でできてよかったです」
 果たして、ゴール左隅へ飛んでいった満田の低い弾道の一撃を、覚悟を決めてダイブした河田の右手がゴールの外へ弾き出す。魂のビッグセーブで窮地を救った河田は、1-1のまま突入したPK戦の4人目で、後半39分に同点ゴールを決められていたMF川村拓夢(23)の一撃もセーブ。4人全員が成功していた甲府に最後の山本が決めれば優勝する最高の場面をお膳立てした。

 河田と山本の出会いは9年前にさかのぼる。福岡大から加入したガンバ大阪で出場機会を得られなかった河田は、2012シーズンにJ2のアビスパ福岡へ、2013シーズンには当時J1を戦っていた甲府へ期限付き移籍。甲府ではリーグ戦で17試合に出場した。
 しかし、自信を手土産に復帰した2014シーズンのガンバで、いま現在もゴールマウスを守る東口順昭(36)の後塵を拝し続ける。史上2チーム目の国内三冠を達成した、モンテディオ山形との天皇杯決勝を含めてリザーブに甘んじた河田は2015シーズンから甲府へ完全移籍した。
 当時のチームメイトで今シーズンも甲府に所属している選手は、セカンドキーパーの岡西宏祐(32)と山本しかいない。16位だった2017シーズンに味わわれたJ2降格も、河田にとってはプロ人生で初めてだったが、山本は2007、2011シーズンに続く3度目だった。

 

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