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重岡兄弟が世界初の偉業を達成した。左が兄の優大、右が弟の銀次朗(©︎3150FIGHT)
重岡兄弟が世界初の偉業を達成した。左が兄の優大、右が弟の銀次朗(©︎3150FIGHT)

なぜ重岡兄弟は試練を乗り越えボクシング界初の偉業を達成できたのか…熊本地震と支え合う兄弟愛…さらなる問題も発生

 豪語を繰り返してきた銀次朗だが「プレッシャーがあった」という。
「2人で同時に世界を獲る日に、僕が一発目で負けたら、兄貴はどんな気持ちで戦うのかと考えた。4月16日は、熊本地震のあった日であり、兄貴の誕生日。必ず俺がつなげないと、勝たないというプレッシャーがあった」
 兄は控室で、その瞬間を小さなモニターで見ていた。
「銀(次朗)が熱い試合をして泣きそうになって、頑張ったなあと、感動してうるうるしてヤバかった」
 銀次朗は、控室に戻ると、兄にこう言ってバトンを渡した。
「会場の雰囲気は最高だから。楽しんでこいよ」
 兄は気合が入りすぎて序盤は力みまくった。明らかにパワーで上回っていたが、狙いすぎての空振りが目立ち、その出鼻にメンデスにショートパンチを合わされ、ジャッジの2人は、それを支持。4ラウンド終了時点の公開採点では「39-37」で優大を優勢としたジャッジは一人だけで、2人が「38-38」のイーブンとしていた。
 セコンドについていた銀次朗は「左がいいね」と兄の気分を乗せた。5ラウンドに左のショートから打ち下ろしのストレートという変則的なダブルで一度目のダウンを奪う。メンデスの目は怯え、戦意を喪失しているように見えた。フィニッシュブローは、兄もまた弟のそれに倣ったように同じく左のボディブロー。コーナーにつめて右のレバー付近の横腹に伸びるボディストレートを叩き込むと、メンデスは、たまらず左膝を落として、下を向き両手をついて悶絶。テンカウントで立ち上がることができなかった。
 兄もまたコーナーに上り誇らしげに右手を突き出した。
「ボクシングって難しい。反省モード。出直します」
 プロ7戦目で世界ベルトを手にした優大は満足していなかった。
 
 2人は力を合わせてまさかの試練をくぐり抜けてきた。
 銀次朗は、1月6日にIBF正規王者のダニエル・バラダレス(28、メキシコ)に挑戦。優位に試合を運んでいたが、バラダレスが偶然のバッティングによるダメージを「耳が聞こえず足がふらつく」とアピールし、レフェリーが、これを認めてしまう不可解な試合となり3回で無効試合。悔し涙を流した。セコンドについていた兄は、「おまえが世界王者にならないと誰がなるんだ」と言って励ました。
 納得のいかないプロモーターの亀田興毅氏は、すぐさまバラダレスと再戦契約を結び、IBFも再戦指令を出したが、耳が治っていないことを理由に延期を申し入れられ、今回は暫定王座決定戦となり「バラダレスより強い」と、銀次朗が警戒していたクアルトとの対戦となったのである。
 そして兄にも災難が降りかかった。試合10日前になって突然、WBC正規王者のパンヤ・プラダブスリ(32、タイ)がインフルエンザを理由にドタキャンしてきたのだ。一時は世界戦さえ消滅危機だったが、興毅氏が、暫定世界戦への変更に尽力し、元WBO同級王者メンデスとのマッチメイクをなんとか実現した。この時、弟は、あえて兄と連絡を取らなかった。「きっとキレている。今俺がなんか言うのは逆効果なんで」。兄の性格を知りつくしているからこその配慮。2人の兄弟愛が心理的な動揺を静めた。
 優大は、当初、オーソドックスのタイ人を想定してトレーニングを積んできたが、急遽、サウスポーのメンデスに変更になった。担当の町田トレーナー曰く、サウスポーとのスパーは1、2回しかできなかったという。
「元々サウスポーは得意なんです。サウスポーからオーソドックスの変更だったら困ったかもしれないが、それほど修正は苦にならなかった。それというのも、2人はサウスポー同士でよくマスボクシングとかをやっているので、サウスポーには慣れているんですよ」
 実は、2人は、ガチスパーは封印してきた。中学生の頃、スパーリングが途中から喧嘩になり、頭突きの応酬が始まり、共に流血してやらなくなったが、技術確認のマススパーは続けていて、その土台が生きたという。
 2人で手を取りあえば怖いものはない。

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