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元日本代表DFでガンバ大阪で監督も務めた宮本恒靖氏が日本サッカー協会の専務理事に就任する( 写真・西村尚己/アフロスポーツ)
元日本代表DFでガンバ大阪で監督も務めた宮本恒靖氏が日本サッカー協会の専務理事に就任する( 写真・西村尚己/アフロスポーツ)

なぜ”ツネ様”宮本恒靖氏が日本サッカー協会のナンバー3に抜擢されたのか…その意味するところを解く

 日本サッカー協会(JFA)は19日に東京都内で開いた理事会で、日本代表DFとして2度のW杯に出場し、キャプテンも務めた宮本恒靖氏(45)が2月1日付で専務理事に就任する人事を承認した。2011年に引退した宮本氏は古巣ガンバ大阪の監督などを経て、昨年3月にJFAの理事に就任。国際委員会のトップと新設された会長補佐を務めてきたなかで、1年も経たないうちに会長、副会長に次ぐJFA内でナンバー3の要職に就く。異例の大抜擢は何を意味しているのか。

「新しい時代を開いていくために極めてふさわしい専務理事」

 

 昨年3月のJFA理事就任から1年も経たないうちに、会長、副会長に次ぐナンバー3の要職で、日常の業務を統括する専務理事に就く。現役時代は「ツネ様」の愛称で親しまれた宮本氏が、日本サッカー界の最上部団体で異例のスピード出世を果たす。
 東京・文京区のJFAハウス内で19日に行われた月例理事会。2月1日付での専務理事就任が承認された宮本氏が、JFAを通じてコメントを発表した。
「これまで常勤の理事としていろいろなことに関わってきましたが、これからは専務理事というより責任の重い立場で、外部のステークホルダーの皆様やJFAの職員ともこれまで以上にコミュニケーションを取りながら、仕事をしっかりとしていきたい」
 JFAの専務理事は2018年3月から、外部招へいされた元プロ経営者の須原清貴氏(56)が務めてきた。しかし、3期目の任期を来年3月まで残していた須原専務理事は、昨年末に突然の辞意を表明。退任が今月末に迫るなかで、JFAは後任人事を進めてきた。
 理事会後に行われたメディアブリーフィング。田嶋幸三会長(65)をはじめとするJFA幹部と後任に関する議論を重ねてきた須原専務理事は、理事1期目の宮本氏を理事会へ提案した理由を、信頼を込めながらこう説明した。
「同じ部屋で働かせてもらいましたけど、冷静沈着で非常に優秀です。そのような素養を持ち、かつ選手として、そして指導者としての経験もある。新しい時代を開いていくために、極めてふさわしい専務理事になってくれると確信しています」
 宮本氏の現役時代は、あらためて説明するまでもないだろう。
 ガンバ大阪ユースからトップチームへ昇格した第1号選手として、1995年6月の柏レイソル戦でJ1デビュー。洞察力を駆使したクレバーかつ冷静沈着なDFリーダーとして2005シーズンの初優勝に貢献し、日本代表としても通算71試合に出場。2002年の日韓共催大会、2006年のドイツ大会と2度のW杯を戦い、前者ではベスト16進出に貢献した。
 さらにジーコジャパン時代には、卓越したキャプテンシーを何度も披露。PK戦にもつれ込んだ2004年7月のヨルダン代表とのアジアカップ準々決勝では、マレーシアの主審に「ピッチ状態がいいサイドで行うべきだ」と前例のないPK戦途中でのサイド変更を通訳なしで要求。これを実現させた日本は2人が続けて失敗する窮地から大逆転を果たした。
 オーストリアのレッドブル・ザルツブルクを経て、2009年に加入したヴィッセル神戸で2011シーズンを最後に引退。その後は指導者の道を歩み始めるとともに、2012年夏には国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院、FIFAマスターに第13期生として入学。サッカーを含めたスポーツに関する組織論、歴史や哲学、法律などを学んだ。
 FIFAマスターに元Jリーガーの日本人が入学するのも、2013年に晴れて卒業するのも宮本氏が初めて。翌2014年のW杯ブラジル大会では、FIFAが指名した10人のテクニカルスタディーグループの一人として、ブラジル大会における技術や戦術、傾向などを分析し、試合ごとや大会全般のリポートを作成。同時にJリーグの特任理事にも就任した。
 理事会における議決権こそ持たなかったものの、宮本氏は特任理事としてリーグ運営の円滑化などを目指して積極的に意見を提言した。さまざまな選択肢が考えられたセカンドキャリアで、宮本氏が選んだのは古巣ガンバへの復帰だった。

 

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