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熱狂的な虎党が阪神の優勝、日本一を支えた
熱狂的な虎党が阪神の優勝、日本一を支えた

【緊急連載4】阪神の岡田監督が“浪人時代”に体験したドバイでのファン交流…優勝スピーチで虎党へ熱い感謝の意を伝えた理由とは?

 阪神がオリックスとの日本シリーズを4勝3敗で制して日本一に輝いた。レギュラーシーズンで18年ぶりに“アレ”を果たし、38年ぶりに“アレのアレ”も達成した。岡田彰布監督(65)はいかにして阪神を変えたのか。緊急連載で知られざる背景に迫った。今回はその第4弾。

 プライベートでもサインは断らない

 

 11月5日の京セラドーム。日本一となった優勝インタビューで岡田監督は、ドームの半分以上を埋めた虎党へ向けて、こう語りかけた。
「本当に今年は3月31日の京セラドームでの開幕から、いつも超満員のスタンドで応援してもらいました。本当にありがとうございました。甲子園での3試合もすごい声援で。昨日、今日と最後まで京セラドームでも本当に凄い応援をしてもらって、選手も凄い力になったと思います。何とか達成できたんでアレのアレを。本当に満足で。今年1年をいい形で終われて、これはファンの皆さんの声援のおかげだと思うので本当にありがとうございました」
 繰り返し感謝の意を伝えた。
 日本シリーズの甲子園での3試合はレフトスタンドのほんの一角以外はすべて黄色に染まった。ボルテージが最高潮に達したのは、第4戦の湯浅の投入と大山のサヨナラ打。
1985年の優勝メンバーである掛布雅之氏は、解説を務めた中継の中で、「私は、現役時代を通じて、これだけの大声援を聞いたことがない」と驚いたほどの大音量が甲子園を包んだ。
 ファンの大声援が試合の流れを変えたと言ってもいい。
 岡田監督は、今季の本拠地ゲームで監督室に届けられる大入袋がなかったのは、6月5日の交流戦のロッテ戦だけだったと明かしたが、これは雨天中止の予備日の月曜日。今季の観客動員数は12球団トップの291万5528人となった。岡田監督が前回指揮をとった2004年にマークした球団最多記録の352万3000人には届かなかったが、改修後の観客席の数や、そもそものカウントの仕方も違うので単純には比較できない。事実上は歴代最多に迫る観客動員数だろう。
 岡田監督はプライベートでも阪神ファンを大事にする。
 プロ野球の選手や監督らは、外食する際に、個室や他のお客さんに目につかないスペースのある店を選び、時には貸し切りにすることもある。人気チームの阪神となるとなおさら気を使う。だが、岡田監督は、そんなことは、お構いなしだ。普通に他のお客さんと並んでカウンターで串揚げを楽しむし、他のお客さんでごった返すテーブル席に座って焼き鳥をつつく。たいていの場合、まさか阪神の監督が、そんなところに普通に座っているとは思いもよらず、すぐに人は寄ってこない。これも岡田監督流の裏をかく采配なのか。
 だが、やがて“ザワザワ”が始まり、写真撮影やサインを求めにくるのだが、断ったシーンを一度として見たことがない。サイン色紙の持ち合わせがなかったのか、手帳の空いた1ページを差し出してサインを求めるような不躾なファンがいたことも、他のOBと名前を間違えられたこともあるが、文句ひとつ言わずに応じていた。
 サインをする際には、故・村山実氏が現役時代に色紙に書いていた「道一筋」という言葉を継承し、その座右の銘を必ず添えて書く。
 ちなみにマジックペンは太いのを好む。
「東京の人は、上品というか遠慮するわなあ」
 確かに横浜や東京のファンは、岡田監督をそれと認識しても、ガツガツ来ないが、時折、関西から遠征してくるファンと遭遇することもある。
 数人に囲まれ、スマホでの記念撮影を求められ、あれこれ質問もされるが、嫌な顔ひとつ見せず「どこから来たのですか?」などと応対する。決して邪険にしない。
 なぜ岡田監督はそこまでファンを大事にするのか。
 実は、ユニホーム復帰するまでの11年間の“浪人時代”にひとつのきっかけがあった。

 

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