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2大会ぶり4度目Vの青森山田。正木監督を囲んで歓喜の記念撮影(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
2大会ぶり4度目Vの青森山田。正木監督を囲んで歓喜の記念撮影(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「継承と革新」Jリーグ転身の黒田氏からバトン受けた正木新監督がロングスロー批判をものともせず青森山田を頂点に導けた理由とは?

  第102回全国高校サッカー選手権の決勝が8日に国立競技場で行われ、青森山田(青森)が3-1で近江(滋賀)に快勝して2大会ぶり4度目の優勝を果たした。1-1で迎えた後半15分にFW米谷壮史(3年)の大会得点王に並ぶ5ゴール目で勝ち越すと、25分にはカウンターからオウンゴールを誘発して勝負を決めた。青森山田を常勝軍団に育て上げ、昨シーズンからFC町田ゼルビアの指揮を執る黒田剛前監督(53)と比較される宿命を背負った正木昌宣監督(42)は、いかにしてチームを全国3842校の頂点へ導いたのか。

 「監督として優勝すると勝手に涙が出るんだな」

 

 優勝監督インタビューに、すすり泣く音が混じった。
「すごいとしか言いようがない選手たちに囲まれて、本当に感謝しかありません……」
 青森山田の正木監督の声が不意に途切れた。いまにも決壊しそうな涙を必死にこらえている。何とか「嬉しいですね」と言葉を紡いだ時点でもう限界だった。記者会見で「泣かない予定でした」と苦笑した指揮官は、涙の理由をこう説明した。
「監督として優勝すると勝手に涙が出るんだな、と。あとは最後の笛が鳴るまで選手たちが走って、戦っていた姿を見て、これでもう彼らを見られないと思うと、優勝よりそちらの方がちょっと感動したというか。それで涙が出たのかもしれません」
 北海道札幌市で生まれ育った正木監督は、小学校卒業後にブラジルへ約2年間留学。青森山田を率いて3年目だった黒田前監督に声をかけられた縁で1997年に同校へ進学し、全国高校選手権には3年連続で出場。最終学年ではキャプテンを務めた。
 仙台大卒業後の2004年には母校へ保健体育科教諭として赴任し、同時にサッカー部のヘッドコーチに就任。恩師の右腕を務めてきた19年間で、3度の選手権優勝を含めた7度の全国制覇を誇る常勝軍団を縁の下で支えてきた。
 しかし、2022年10月に青天の霹靂に直面した。
「本当にびっくりする形で監督を引き継ぎました。母校を全国優勝させたいと思って指導者になりましたけど、とんでもない記録や結果を出してきた前監督の後任でしたし、正直、このような経験をする監督は全国でもあまりいないのではと思いました」
 28年間も務めてきた青森山田監督を辞し、当時J2の町田監督に転身すると告げた黒田氏からバトンを託された瞬間の本音を正木監督はこう明かす。もちろん断る理由もないし、時間も待ってくれない。指揮官はすぐに試行錯誤の日々をスタートさせた。
 しかし、正木監督と黒田総監督の体制で臨んだ前回大会は、準々決勝で神村学園(鹿児島)に敗れて5大会ぶりにベスト4進出を逃した。新チームの立ち上げから指導した昨夏のインターハイは、優勝した明秀日立(茨城)の前に3回戦で屈した。
「眠れない日も、どうしたらいいか訳がわからなくなった時期もなかった。もともとプレッシャーを感じるタイプでもないし、何がプレッシャーなのかもよくわからない。自分なりに黒田前監督と19年間やってきたし、その間にはいろいろなプレッシャーをかけられていたので、それに比べればちょっと伸び伸びとできた部分もあったので」

 

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