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阪神の岡田監督は今やオリオールズのブルペンの切り札となった藤浪晋太郎の米移籍も了承した(写真・AP/アフロ)
阪神の岡田監督は今やオリオールズのブルペンの切り札となった藤浪晋太郎の米移籍も了承した(写真・AP/アフロ)

【緊急連載4】15年前とは“変わった”岡田監督…球団が決めた藤浪晋太郎の米移籍を了承し“2005年V戦士”赤星憲広氏、鳥谷敬氏、井川慶氏、桧山進次郎氏らの入閣案も引っ込めた

 本当は今岡真訪打撃コーチ以外の2005年のVメンバーも集結させたかった。
 今の選手の感覚に近い、若い指導者にパイプ役を任せ、生え抜きの次世代指導者を育てたいというのが理由だった。“レッドスター”赤星憲広、“鉄人”鳥谷敬、“20勝投手”井川慶、“代打の神様”桧山進次郎の名前を出した。鳥谷は、自身がまだユニホームを着る考えがなかったが、招聘が難しい、それぞれの説明を球団側から聞いて岡田監督は、それ以上、無理に意見を通さなかった。代案として、赤星、鳥谷は臨時コーチとして沖縄キャンプに招き、大きな刺激と効果を生んだ。
 戦力の編成について、球団から真っ先に説明があったことが、今やオリオールズの堂々の切り札に成長した藤浪晋太郎をポスティングによりメジャーへ移籍させることだった。すでに決定事項だった。岡田監督は、藤浪をどう再生させるかもポイントだと考えていたが、“物言い”をつけることもなかった。
 オリックスの監督を辞めてから11年間の充電期間を経て、物事を俯瞰で見て、その思考も柔軟になっていた。
 筆者が「ずいぶん丸くなりましたね」と聞くと。岡田監督はただ笑っているだけだった。岡田監督は阪神が拒否反応を示した昔の岡田監督ではなかった。
 就任会見が行われたのは10月16日である。
 
 一方で角CEOは球団と岡田監督の軋轢を気にしていた。
 岡田監督には平田昇格案を進めた球団への不信感が残り、球団は本意ではなかった岡田監督へのバックアップに問題が残るのではないかとの懸念だ。 
 そこで繰り出したのが、球団フロントへ阪急サイドから人材を送り込むのではなく、トップのオーナーに角CEOの信頼が厚い前阪急阪神HDの社長で、野球にも詳しい杉山健博氏を送り込むという仰天人事だった。
 1月。雪が降る京都で行われた京都の後援会「メンバーズ80・岡田会」のパーティーで角CEOは「空気を変えたいと優勝監督をお迎えした。杉山オーナーは岡田監督がのびのびと指揮が執れるように入ってもらった」とスピーチした。
 岡田監督は杉山オーナーの就任理由を「そこで初めて聞いた」という。
 杉山オーナーの存在は無形の“重し”になった。
 沖縄キャンプを毎週末訪問して、ブルペンでは岡田監督と並んで座りレクチャーを受けた。
「ほんま野球をよう知っているわ」
 ホテルの選手の食事スペースで試食もした。ホームゲームはすべて観戦した。
 球団フロントも変わりつつあった。シーズンを通じて嶌村本部長は積極的に岡田監督とコミュニケーションをとった。8月18日の横浜DeNA戦。京田の二塁ベース上での問題プレーに岡田監督が猛抗議をした。試合後、竹内チーム運営部部長がすぐさま監督と話し合いを持ち、翌日に機構へ意見書を提出するという現場とフロントが一体になる連携プレーを見せた。結局「ブロッキングベースルール」が設定されて球界を動かした。
 ビジターでは百北社長らの球団幹部が、試合後に監督、コーチ、選手を出迎えたり、「お疲れ様の」の一言もかけることなく、さっさとタクシーを呼んで宿舎へ帰る姿勢だけはいただけないが、角CEOが懸念した摩擦は起きなかった。
 金本監督の就任時からの中長期のドラフト戦略と育成が、優勝の礎となったことは間違いない。これは球団フロントの功績である。優勝した今こそフロントの在り方を総括すべきである。ただファンからすればフロントが阪神主導であろうが、阪急主導であろうが関係のない話である。阪神電車が好きで、阪急電車が嫌いなわけでもないだろう。ただ阪神タイガースが勝つ姿が見たいのだ。
「角さんとの約束もあるしな。もうちょっと強くして、次にバトンを渡さんとあかんやろ」
 岡田監督が角CEOと交わした約束。18年ぶりの優勝、そして阪神を常に優勝を争う常勝軍団へと成長させることである。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

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