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メッシを支えた父のホルヘ氏が亡くなった。そっくりだ(写真は2008年の南米年間最優秀選手賞の受賞式・アフロ)
メッシを支えた父のホルヘ氏が亡くなった。そっくりだ(写真は2008年の南米年間最優秀選手賞の受賞式・アフロ)

「僕は厳しい親父の承認を必要としていた」メッシの敬愛する敏腕代理人でもある父親ホルヘ氏が死去…運命を左右した子供の頃のホルモン治療からインテル・マイアミ移籍の交渉まで

 前出「オレ」によると、ホルヘ氏は代理人としての専門的な知識がなかったにもかかわらず、契約、交渉、クラブやスポンサーとの関係を実際に仕事をしながら学んでいった。
「彼のスタイルは常に控えめだった。メディアの注目を集めることから距離を置き、家族の周囲を守ること、そして息子のキャリアにおける一つ一つの決定を自分たちで管理することを優先した」という。
 バルセロナ時代には、契約更新における中心人物となり、彼の利益を守った。あまりメディアには登場しなかったが、「レオをサッカーに集中させ、外部からの雑音や気を散らすものから遠ざけることが私の仕事だ」との哲学を明かしていた。
 一方でそのマネジメントには論争もつきまとった。
 2021年にバルセロナを退団する際には、口頭で合意していた契約があったにもかかわらず退団を余儀なくされ、パリ・サンジェルマンへスポンサーフィーなどを含め総額9500万ユーロ(約174億8000万円)とも言われる大型契約を実現した。  
 また1億5000万ドル(約238億5000万円)規模とされた米国のインテル・マイアミへの移籍にも積極的に関与した。
 それらは「スポーツ面だけでなく、家族全員にとってより穏やかな人生を送るという生活面の計画も組み合わせた決断だった」という。
「オレ」によると、これまでメッシは父親についてこう語っていた。
「親父は、僕に対していつも厳しかった。でも僕は子どもの頃から、いつも親父の承認を必要としていました。試合が終わると親父に『どうだった?』と聞いていました。親父はサッカーをしていたんですが、腱を断裂してきちんと治らず、その後遺症が残って、もうプレーできなくなりました。僕は親父と一緒に成長しました」
 メッシは、ホルヘ氏と、所属クラブやアルゼンチン代表での試合後にも、しょっちゅうサッカーについて意見を交わしたという。
「チームのことでも僕たちはかなり似たような見方をしています。僕が素晴らしい試合をしても、親父は『1本食らってたじゃないか』と言ってきて、そういうことを冗談にしていました。それが僕にはよかった。もっと上を目指したいと思わせてくれました。僕たちは2人とも自分に対して一番厳しい人間なんです」
 その上で「自分の子どもたちを育てるときには、自分の両親のやり方をまねしようとしています」とも語っていた。
 その父親の死はメッシの今後のサッカー人生を左右することになるのかもしれない。

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