• HOME
  • 記事
  • 格闘技
  • 「僕は厳しい親父の承認を必要としていた」メッシの敬愛する敏腕代理人でもある父親ホルヘ氏が死去…運命を左右した子供の頃のホルモン治療からインテル・マイアミ移籍の交渉まで
メッシを支えた父のホルヘ氏が亡くなった。そっくりだ(写真は2008年の南米年間最優秀選手賞の受賞式・アフロ)
メッシを支えた父のホルヘ氏が亡くなった。そっくりだ(写真は2008年の南米年間最優秀選手賞の受賞式・アフロ)

「僕は厳しい親父の承認を必要としていた」メッシの敬愛する敏腕代理人でもある父親ホルヘ氏が死去…運命を左右した子供の頃のホルモン治療からインテル・マイアミ移籍の交渉まで

 W杯北中米大会で準優勝したアルゼンチン代表の主将リオネル・メッシ(39)の父親であるホルヘ・メッシ氏が8日(日本時間9日)、亡くなった。入院中だったアルゼンチンのロサリオ市の病院「サナトリオ・セントロ」が発表した。68歳だった。死因はあえて公表されなかった。MLSの「インテル・マイアミ」でプレーしているメッシは米国からプライベートジェットで故郷へ戻っているという。

 W杯期間中に死去の誤報が流れて大騒ぎに

 メッシの敬愛する父が亡くなった。
 アルゼンチンの主要メディアが入院中だった病院の発表した声明を伝えた。現地8日の午前2時に亡くなり、死因については「患者の個人情報保護に関する現行法規を遵守し、また、ご家族のプライバシーを尊重するため、死亡に至った医学的な経緯について、これ以上の詳細は公表いたしません」とされた。ただアルゼンチンの「ラナシオン」によると、長年がんを患っていたという。
 6大会連続出場となった今回のW杯ではホルヘ氏の姿が会場になかった。過去5大会では、いずれもホルヘ氏と妻のセリア氏ら、兄弟全員が会場を訪れてファミリーで応援する姿が定番だったが、ホルヘ氏の病状が許さなかっただろう。
 メッシがグループステージ初戦のアルジェリア戦でゴールを決めた際に涙を流したが、それは闘病する父親へ捧げた涙と見られていた。
 アルゼンチンメディア「オレ」によると、「大会の真っただ中にも、父親に会いに行くことを検討していたほどだった」という。
 そして6月18日に事件が起きる。アルゼンチンの放送局で、司会者が「ホルヘ氏が死亡した」との誤報を伝え、それがSNSで拡散。メッシ家が「ホルヘが健康上の問題を抱えていることをお知らせします。現在、医師による経過観察を受けており、治療を続けながら回復に向かっており、現在の病状の範囲内で良好に経過しています」との声明を出して噂話の拡散に不信感を示した。
「ホルヘの状態について、正確かつ真実の情報を把握しているのは、彼の最も近しい家族だけです」とも付け加えた。
 メッシは、決勝のスペイン戦を終えると、すぐにロサリオへ戻った。チームと共に帰国しなかったことで一部のファンから批判の声も起きたが、闘病している父親の側に7月29日までいた。それが最後の対面だった。
 ホルヘ氏がいけければ今のメッシは存在していなかった。父親であり、代理人であり、マネージャーであり、実業家。前出の「ラ・ナシオン」は「戦略的アドバイザーであり、息子のキャリア初期において重要な役割を担った」と説明した。
 長年にわたって金属加工工場で働きながら家族を支えて、メッシをニューウェルズ・オールドボーイズの少年サッカーに進ませることを推し進めた。そして大きな転機が、13歳だった息子をスペインへ移住させ、バルセロナ加入を実現したことだった。そこで成長ホルモン不足に対する医療治療が必要と診断されると、ホルヘ氏は、その医療費をクラブが負担するように交渉した。
 メッシがバルセロナの下部組織でゴールを量産し続け、最初は有望株、そして世界最高の選手へと成長していった数年後、ホルヘ氏は、単に息子に付き添う父親から、そのキャリアを管理する最大の責任者へと変わっていった。

 

関連記事一覧