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NPBの通算最多安打記録を持つ張本勲氏が死去(写真・アフロ)
NPBの通算最多安打記録を持つ張本勲氏が死去(写真・アフロ)

追悼「君!揉めさせるように煽る記事はよくないぞ!」張本勲氏に落合博満氏との“あるトラブル”を書きホテルに呼び出されて入れられた1時間の“喝”

 プロ野球の東映、巨人、ロッテなどでNPB歴代1位の通算3085安打を放った張本勲氏が9日に死去したことを10日、名球会が発表した。86歳だった。筆者はサンケイスポ―ツの中日番記者時代に臨時コーチを務めた張本氏に落合博満氏とのあるトラブルを巡ってホテルに呼び出されて“喝”を入れられたことがある。

 1992年の沖縄キャンプで中日臨時コーチ

 “安打製造機”張本氏が亡くなった。
 7月27日には東京ドームで行われた「サントリードリームマッチ」に出場、モルツ球団から代打出場して大歓声を浴び、申告敬遠扱いで一塁へ歩き場内を盛り上げた。だが、バックステージでは、杖がなければ歩けなかったという。8月2日には「喝」でお馴染みのTBS系のニュース番組「サンデーモーニング」にスペシャルご意見番として出演していた。その悲報を信じられなかった野球ファンも多いのではないだろうか。
 幼い頃にやけどを負い右手の小指と薬指が癒着したというハンデがあり、いつも黒い手袋を着用していた。長打を兼ね備えた広角打法で首位打者7回、通算本塁打も504本を誇る。在日韓国人として、差別にも苦しめられたが、日韓の野球の橋渡しをして、2006年には、これまで語ることがなかった広島での被爆体験を明かして戦争の悲惨さを訴えた。
 筆者には忘れられない苦い思い出がある。
 1992年秋の中日の沖縄キャンプでの出来事である。
 当時の高木守道監督が名球会のつながりで親交のある張本氏に臨時コーチを頼んだ。メインは1本足打法に取り組んでいた大豊の覚醒だった。結果につながらず、迷走していた大豊に張本氏は、連日、居残り特打でワンツーマン指導した。中日OBでもなかったが、「1本足についてはわからないところもあるからワンちゃんに聞いたんだ」と、1本足打法で成功した王貞治氏に直接電話をしてまで、大豊指導の参考にした。
 主軸の立浪らも張本氏の指導を仰いだ。張本氏は、自らの現役時代は、広いスタンスでヒットを量産したが「スタンスは狭く」と教えた。「広いと膝が固まって下半身を使えなくなる」というのが理由だった。
 張本氏は、右手にハンデがあるため、左手でコントールする独特の打撃フォームだった。早い段階からバットを寝かせてレベルに入れて最後はアッパー。ボールを線で捉えるからコンタクト率はあがる。通常では球威に負けるため、その軌道でバットを入れることができない。だが、張本氏の強靭な肉体、特に下半身と、振り込んで作ったバットスイングがそれを可能にした。他人には真似のできない技術だが、大豊には「バットとボールの接点をいかに長くするかを意識しなさい」とも教えた。
 囲み取材は、そういう張本氏の打撃極意に触れる機会でもあったが、沖縄キャンプに参加していなかった落合氏が話題になった。落合氏は1991年に37本で本塁打王を獲得し、91打点、打率.340を記録していたが、1992年は、22本、71打点、打率.292と8年ぶりの無冠に終わっていた。
「落合にも声をかけたけど来なかった。伝えたいことがたくさんあったんだけどね」

 

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