追悼「君!揉めさせるように煽る記事はよくないぞ!」張本勲氏に落合博満氏との“あるトラブル”を書きホテルに呼び出されて入れられた1時間の“喝”
実は張本氏は、1980年、1981年の引退までの晩年の2年間をロッテで落合氏と共にプレーしている。報道陣には、先輩、後輩の関係であるからこそのラブコールだと受け止められその一言は見出しとなった。
「落合が張本氏からおキャンプ参加の誘いを拒否」
その後、行われた日米野球の選抜チームに落合氏が選ばれていた。東京ドームで落合氏は、筆者をみつけるなり、「ちょっと話がある」とベンチ裏の選手食堂に誘われた。
「報道陣はそこに入れないんで」と遠慮すると「大丈夫だから」と強引に連れていかれた。
4人席に2人で座ると何も知らない巨人の原辰徳氏が同じ席に着いた。
落合は「あの記事はなんだ。張本さんから連絡なんて一切ないからな。チームからは、参加するしないは任せると言われていたし、オレは拒否なんかしていない」とクレームをつけた。
当然、翌日の朝付けで「落合が『話なんかない』と張本氏に激怒」という記事にした。
すると今度は張本氏から先輩記者を通じて「会いたい」と連絡が入った。当時、サンスポには平本氏という阪神のコラムを全試合執筆する名物記者がいて平本氏は広島の中学時代の張本氏の野球部の先輩だった。
平本氏が仲介役となり東京のホテルの喫茶店で会うことになった。
張本氏に“喝”を入れられた。
「ああいう記事にするならもっとちゃんと聞きなさいよ」
張本氏は困惑していた。
「そういう揉めさせるように煽る記事はよくないぞ。ねえ、先輩」
1時間にわたって、昔の記者は、そんな話は記事にしなかった、書くべきことと、知っていても書かないことをわきまえる「記者の品格」があったと、諭された。
球団の枠を超えて、悩める大豊に手をさしのべ、その年、最下位に終わっていたチームに何かを伝えようとした張本氏の熱意が、違う方向で切り取られて報道されたことが我慢ならなかったのだろう。
つまるところ、落合本人に直接電話などをして声をかけたわけでなく、共通の関係者を通じてメッセージを伝えたということだった。その共通の関係者が落合に連絡していなかったのが事の真相だった。
その後、張本氏が落合に直接事情を説明して両者は和解した。
それから現場で会うたびに張本氏からは何かと声をかけてもらえるようになった。
1995年には落合の名球会入り拒否騒動などが起きるも、前出の「サンデーモーニング」では、2人は何度も共演するなど、互いにバットマンとして尊敬しあう関係が続いた。
今なお心に残る張本氏の“喝”…。真実を書くのがジャーナリズムではあるけれど、「本当の真実とは何か」をあの日、張本氏に教えられた気がする。合掌。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

