追悼…板東英二さんは甲子園のプレスルームで原稿用紙に自分で評論を書いていた…ピタリと収まる文字数と「ダイヤモンドの外におもろいことが」の教え…“脱税問題”後の野球への回帰
とにかく話が面白かった。人を惹きつけた。
現役時代から副業に手を出して、レジャービルをまるまる一棟買い取って、サウナ、ナイトクラブ、小料理屋を経営していた。試合が終わると、そのビルに直行していたという。
「なんかおかしい。ビルがどんどん傾いていくんや。売り上げが傾いたんじゃなくほんまに傾いた。サウナに地下水をくみ上げていたんやけどそれで地盤沈下や」
失敗談にも「ほんま?」というようなオチがつく。
その後、タレント、俳優活動が中心となり、いつのまにか、サンケイスポーツの評論を離れた。一度、新幹線の新大阪駅の構内で偶然会った時、「時間あるか。ビールでも飲もか」と誘われ、フードコートで昼間から坂東さんと一緒にジョッキを傾けたことがある。
坂東さんは、はめていたロレックスの高級時計をおもむろに外して、その裏側を見せてくれた。そこには高倉健の文字が…。1989年のアカデミー主演助演男優賞を獲得した映画「あ・うん」で、高倉健さんと共演された後だったか、1999年の「鉄道員」の後だったかの記憶は曖昧でないが、「共演者全員にプレゼントされる。びっくりしたわ」というような話をされていた。
故・星野仙一氏も優勝記念などで高級腕時計に名前を入れて配っていた。
坂東さんは「あれも健さんの影響や。オレが仙ちゃんに教えたんや」と自慢げに語っていた。
その後、坂東さんは脱税問題でテレビ界から干され、一気に奈落の底に転落することになる。再起に向けて活動を再開されている頃だったか。神宮球場の記者席で再会した。筆者はもうサンケイスポーツを辞めていた。
挨拶をしたら、どうも覚えてくれているか怪しかったが、人柄がいいので「おお、久しぶりやな、元気やったか。オレがそれ言うたらあかんか」と、しっかりオチをつけて返してくれた。
それ以上突っ込んだ話はしなかったが、一番最初に野球の評論家として出会った坂東さんが、再起の場所に再び野球を選んでいらっしゃるのかなと思った。
青春の時を過ごした野球こそが、坂東さんの心の拠り所となる原点だったのだろう。天国に旅立った坂東さんは、誰とキャッチボールをしているのだろうか。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

