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今季限りで引退した“熱男”こと松田宣浩氏が40歳までプレーできた理由
今季限りで引退した“熱男”こと松田宣浩氏が40歳までプレーできた理由

王貞治氏が秋山幸二氏に命じた「彼をプロで通用する打ち方に直してくれ!」…引退した“熱男”松田宣浩氏が40歳までプレーできた人生の転機

 西武、ダイエー(ソフトバンク)を通じて本塁打王、盗塁王、ベストナイン11度などを獲得している秋山2軍監督に、まず指摘されたのは、小学生1年から大学まで、ずっと立てて構えていたバットを担ぐように寝かせて構えることだった。
「こんな凄い世界で生きていくには、何かを変えないと通用しないと感じていたのですぐにやってみた。やはりバットを立てると打球は飛ぶが確率性は悪くなる。テニスラケットのようにバットを担ぎ、寝かした位置から、コンパクトに来た球をパチンと打つ。ボールに当てることに特化したことが一番大きな転機になった」
 午前10時から午後6時まで、1日中、バットを振った。
「相当の量の練習をした。もうバテバテのヘトヘト。守備への不安もあり、守備練習も2時間はやった。捕る、投げるの精度とスピードを高めた」
 2年目の途中から1軍に定着し、3年目の2008年からレギュラーを確保した。
2011年は初めて全試合フル出場を果たして打率.282、25本塁打、83打点の数字を残してゴールデングラブ賞も初受賞し、チームの連覇に貢献した。1軍監督に昇格した秋山監督3年目のシーズンだったが、松田氏以外にも、この年のオフにメジャー移籍することになる川崎宗則氏、本多氏の3人が全試合フル出場していた。
 松田氏は、秋山監督からの“教え”が今なお胸に刻まれているという。
「本当のレギュラーとはプレーボールからゲームセットまで試合に出続ける選手のことを言うんだ。代走も守備固めもいらない。そういう責任を持った選手のことを言うんだ」
 松田氏が振り返る。
「秋山さんの教えを体現していく試合の中で成長したと思う」

 もうひとつの転機は、その2008年の1月に初めて“3冠王”松中信彦氏のグアム島での自主トレに参加させてもらったことだという。
「松中さんの影響を受けたのも大事なポイントだった。自主トレを決して疎かにしてはいけない、という野球選手としての教えを受けた」
 チームの4番打者だった松中氏に特別に目かけてもらう師弟関係でもなかったが、2007年のシーズン後半に「グアムに連れていってくれませんか?」と自主トレ参加を直談判した。
「自主トレで何をすればいいかわからなかった。暖かいところでやるということと、強い体を1月に作るという話が心に響いてお願いした」
 松中氏は「来いよ!」と二つ返事でOKをくれたという。
 専門のコーチを帯同させた松中氏の常夏グアムでの自主トレは、徹底して体をイジメ抜く、基礎体力強化に的を絞った厳しい内容だった。
「技術練習をする自主トレもあるが、松中さんのそれは、徹底して体を鍛えることに特化した自主トレだった。結果的に、それが正解だった。松中さんが引退するまで、ずっと参加させてもらったが、40歳までプレーできた理由のひとつだったと思う」
 松中氏が引退後は、そのグアム自主トレを松田氏が引き継いだ。ここ数年は新型コロナで影響でグアムにはいけなくなったが「熱男塾」と称する自主トレを宮崎県で行い、同じような体力強化メニューを組んだ。横浜DeNAの宮崎敏郎、オリックスの頓宮裕真のセパ首位打者らも参加しており、その「熱男塾」は「やめるわけにはいかない」と、来年1月以降も松田氏が「顧問」として参加し継続するという。
(文責・ROSNPO編集部)

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