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日大が1940年創部のアメリカンフットボール部の廃部を決めた(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
日大が1940年創部のアメリカンフットボール部の廃部を決めた(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

「臭いモノに蓋をした?」なぜ日大は薬物問題で揺れた名門アメフット部の廃部を決めたのか…在籍部員や来春の新入生はどうなる?

 日大がアメリカンフットボール部廃部の方針を固めたことが29日、明らかになった。また同日開かれた臨時理事会で同部の薬物事件に関する対応ミスの責任を問われ酒井健夫学長(来年3月31日付)、澤田康広副学長(12月31日付)の辞任及び、林真理子理事長の6か月間の50%減給処分を決定した。甲子園ボウルで21度優勝、日本一を決めるライスボウルでも4度の優勝を果たすなどした名門「日大フェニックス」が部員の大麻使用による不祥事という最悪の形でその輝かしい歴史にピリオドを打つことになった。日大はなぜ慌てて廃部を決定したのか。連帯責任は問われるべきなのか。名門チームはなぜおかしくなったのか。そして残された部員や来春にスポーツ推薦で入学予定の新入生の“今後”はどうなるのか。

 酒井学長と澤田副学長が辞任

 

 天国で“名将”篠竹監督が泣いているのかもしれない。29日にスクープという形で朝日新聞など複数のメディアが日大アメフト部の廃部を伝え、この日、大学側がその方針を認めた。学内での手続きを踏んだ上で正式発表されるという。
 日大では27日に3人目となる違法薬物違反の逮捕者が部内から出たことを受けて28日に競技スポーツ運営委員会で、日大アメフト部の存続についての協議が行われ、多数の支持を受ける形で、再生ではなく廃部の方針が固まった。
 報道が先行して混乱することを避けるために、部内には一斉メールで廃部が決定したことが伝えられたが、廃部に至る経緯や、理由が示されていない事務的な報告メールで、より混乱を招く形となった。
 この日の臨時理事会で、林理事長からの辞任勧告を受け入れる形で、酒井学長と澤田副学長の辞任が決定したが、その澤田副学長は、8月8日の会見の際に廃部について触れ「仮定の話だが、多数がかかわっているのなら、それを前提に考えなければならない」と否定していなかった。
 ただ、この会見の直後に8月5日に科していた部の無期限活動停止処分を解き、関東学連にリーグ戦参加を申請、その際「個人の問題を部全体に連帯責任として負わせることは、最善の措置ではない」などと連帯責任に対して否定的な説明をしていた。だが、リーグ戦参加が却下され、8月22日に、再度、寮への警察の家宅捜索が入るなどしたため、8月31日に寮を閉鎖し、9月1日付で再び部に無期限活動停止処分を科した。その際、もはや個人の犯罪の範疇に収まらないとの認識を示した。
 その後、10月16日に2人目、この27日に3人目の逮捕者が出て大学側が慌てた。 
 関係者の話を総合すると、昨年保護者や警察から寮内での大麻使用が指摘され、自らが使ったと自首した部員が現れた段階で8人の使用の疑惑が持ち上がり、事情聴取などで、11人の部員が使用した可能性まで浮上していたため、これ以上逮捕者が増えれば、もう大学として対応しきれなくなるため、アメフト部と逮捕者との関連性を断ち切るため大急ぎで廃部を決定したというのが、真相のようだ。
 今回の薬物問題についての調査を依頼していた第3者委員会からの報告書が出たのが、10月31日。それらの報告、改善要求をもとに改善策を練った日大は、今日30日に監督官庁の文科省に改善策を提出するが、そこに廃部の方針を盛り込みたかったともみられる。
 1940年に創部され、日大のシンボルでもあったフェニックスの存続を、その活動が大学教育の一環であることや連帯責任の有無も含めて深く議論するよりも、危うくなっている大学の存続を優先したと受け取られても仕方がない。大学の上層部は責任をなすりすけあい、林理事長から辞任勧告を受けた澤田副学長がパワハラを受けたと訴訟する“泥試合”までに発展していた。
 日大アメフト部OBの一人は「今回の廃部は臭いモノに蓋をしたということ」と、やるせない怒りを隠さなかった。
 そもそもなぜ名門チームが廃部に追い込まれるまで堕落したのか。

 

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